かけはし No.304
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- 15-連中が島の神社に泊まり込んでよく調査をしていた。 シカの食害と植物の関係の調査を指導教官の吉岡先生に依頼され、平君と僕は金華山に乗り込んだ。鹿の多いシバ地で、僕がいろいろ見て歩き、考えていると、平君はシカの食害を免れたアカガシの若木を見つけて、それをノートに書き込んでいる。植生図も描いているではないか。平君の原稿に吉岡先生が手を入れて報告書が出た。三人の連名になっていて、私の名が筆頭になっていた。 このことを思い出すといつも心苦しくなる。佐渡ケ島での宿での華やいだ気分も帳消しだ。 電車が発車した。その次に思い出したのは、最初に付き合った女性だ。高校の同級の妹だ。はがきや手紙をたくさん書いた。何を書くことがあったのだろう。僕はナルシストだった。細かい字で自分のことだけを延々と書いたにちがいない。その後、青森で臨海実験所での実習に行ったときに荒啓子という青森明の星短大生と出会い、同級の妹とはずるずると引きずって別れた。思い出すととても心苦しい。 電車は次の喜きくた久田駅に着く。 バイクの免許を取得して間もなく磐梯山の調査に出かけたときのことである。福島市内の交差点のど真ん中でバイクがエンストを起こした。そのうちエンジンがかかり無事発車した。この原稿の初めの方で、福島駅で降りたことに触れたが、福島市内にはそういう思い出もあったのである。 一度仙台から水戸の実家にバイクで帰ったことがある。途中いわき市の平という町の喫茶店に入った。そこではポール・モーリア楽団の曲が流れていた。シバの女王というものだ。そのとき突然音楽が僕の心に入り込んだ。僕はそれまでドミソも聞き分けられない音痴同然だったのだ。僕はそれから音楽というものに夢中になったのだった。 失恋の痛手も働いていただろう。 電車は磐ばんだいあたみ梯熱海に到着する。川の向こうに温泉街がひろがる。乗客の乗り降りも目立つ。 青森から彼女が仙台に同級生と二人で遊びに来た。喫茶店を出るとき、もう会いません、と言われた。僕はその晩、仙台の町をうろつき回ったのだった。 それは僕が大学院に入学する直前だった。それから僕は酒の味を覚えた。いや、ほんとうの酒の味を知ったのは大分あとのことだ。やけ酒だったのだ。胃の少しわきに穴があいたような感じはほぼ一年つづいた。 それから五年後、後輩のつてで彼女と再会した。 五月の連休に彼女が一人で仙台にやって来た。仙台市内を歩き、喫茶店に入り、そこを出てまた歩き、また喫茶店に入る。 翌日、別の女性とほぼ同じコースをたどって歩いた。女子校を卒業したばかりの。佐々木育子という名の。 当時、僕は、古川市という仙台からかなり離れた街の高等学校に非常勤で通っていた。彼女から手紙を貰った。もう一人佐々木という名の女の子も手紙を寄越した。あとで分かったことだが、とても人気のある先生がいて、彼女はその先生に近づくのが目的だったようだ。当時、大学紛争が高校に波及して、学校が揺れていた。 二日目に同じコースを歩いた若い方の女性に、かつて別れた人と寄りが戻ったことを告げた。 彼女は泣いて帰った。 さらに悪いことには、古川までさよならを言いにまた会いに行った。喫茶店に二人で居るところに父親が来て彼女を連れて帰ってしまった。 このことも思い出すととても辛くなることの一つだ。 その後、再会した青森の彼女と結婚して現在に至っているが、彼女に離婚すればよかったと何度言われたことか。心臓の手術さえしていなかったら、と。 僕と別れたあとにいろんな人と付き合った話を妻から聞くたびに、僕は焼きもちを焼いて逆上するのだった。 トンネルを出るとやがて晴れた空に会津磐梯山が見えてくる。手前には黄金色の稲穂が広がる。

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