かけはし No.319
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- 8 -もうひとつの大学論(その6)ーきな臭い話(1) 法学研究科 和田肇はじめに 教養教育の話を始めたが、少し大学をめぐる状況がきな臭くなってきたので、しばらくその話をしてみたい。広い意味では大学の教養教育の危機ともいえる。 一つは、首相や文科相が大学の思想管理に本格的に乗り出してきたことである。 二つは、国策遂行のため大学を総動員し始めたことである。 三つは、これらと関係しているが、軍学共同研究にも積極的に関わり始めたことである。一 国立大学での国旗掲揚・国歌斉唱 安倍首相は四月九日の参院予算委員会で、国立大の入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱に関し「税金によって(運営が)賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。同時に「学習指導要領がある中学、高校ではしっかり実施されている」と強調した。 これは、次世代の党の松沢成文氏が、国立大での実践例がほとんどないと指摘したのに対し答弁したものである。下村文部科学相も、国大協等の場において、「各大学で適切な対応が取られるよう要請していきたい」と述べている。 松沢氏が示した文科省の資料によると、直近の卒業式で、国旗掲揚は国立八六大学のうち七四大学、国歌斉唱を実施したのは一四大学にとどまっている。二 マスコミの反応 この問題は、大学の自治あるいは学問の自由に関わる根本問題・憲法問題であり、新聞各社もいち早く反応した。 首相らの対応に賛同したのは、産経新聞である。四月一四日付社説では、小学校の学習指導要領解説書を例に出し、「国旗国歌 背向ける方が恥ずかしい」という主張を掲げた。国旗掲揚、国歌斉唱は日本人にとって自然のことであり、法的根拠も必要なく、そのことを要請することも大学の自治を損なうものではないという。 同様の主張は、一六日付の読売新聞の社説でもされている。文科相の要請は、大学への圧力ではなく、大学の自治を侵害することはないという。 日経新聞の一四日付社説は、これらとはだいぶニュアンスが違う。若干長くなるが、重要な主張なので引用する。 「大学は社会のなかの聖域ではない。いわゆる『大学の自治』に制約があるのも確かだ。それを前提に考えても、政府のこの方針は穏当ではあるまい。/国立大に対し、入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱を求める動きだ。(中略) 掲揚・斉唱は小中高校では当たり前だから、大学でも当然だという声は少なくないだろう。/しかし学習指導要領に定めがある初等中等教育と、大学とは根本的に違う。大学はその運営も教育・研究の中身も自主性、自律性が尊重されるべき存在だ。世界中から人を受け入れる空間でもある。大学のグローバル化が急務となるなかで、国公立、私立にかかわらず画一的な統制はなじまない。/二〇〇六年の教育基本法改正では、大学の自主・自律の尊重について新たに条文が追加された。首相が『基本法にのっとって』と述べたのは、同法の『わが国と郷土を愛する』のくだりを指しているようだが、大学についての条文にも目配りがほしいものだ。/下村文科相は、各大学への要請は『強制ではなく、お願い』だという。しかしまさに首相が『税金によって賄われている』と述べたように、国立大への交付金のさじ加減は文科省が握っている。そこからきた『お願い』は大学を萎縮させる効果が十分にあろう。/大学に対する政府の役割は、入学式をどう営むかといったお節介でなく、教育・研究の水準向上や多様性確保である。政府はこの問題で、これ以上の口出しは控えるべきだ。国立大学協会など大学サイドでも、きちんと対応を議論すべきではないだろうか。」 朝日新聞一一日付社説は、「国

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