かけはし No.318 送別特集
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私は平成7年4月に愛知医大から名大神経内科に赴任しました。従ってこの3月でちょうど20年になります。最初私が入ったのは大正時代に建てられた旧病棟で、戦災で残った建物です。鶴舞地区の南東端にあった頑丈な建物でした。教授室を含めて、室が3つほどありましたが、分子生物学的研究などはほとんどできなく、前任地の愛知医大でかなりの部分を行っていたというのが実情でした。その古さは際立っていて、動かずの鉄格子のようなエレベーター、トイレは男女兼用で1つしかなく、窓ガラスの閉まりが悪いので、窓の隙間から雨が振り込むという具合です。この大正時代の旧病棟とは別に図書や教室員の居所機能は共済団別棟の3階を借り受け、移っていました。この3階はもともと畳の部屋で、宴会などの場所でしたが、大きな改装をして、結果的にはかなり快適な場所になっていました。この場所も約3年後には取り壊しになり旧西病棟に引っ越しになっています。 さて、大正時代の旧病棟は、私の赴任后2年で取り壊しになり、私たちの教室は基礎別館に移りました。これは西北端の建物で、もともとは解剖実習用の死体が置いてあったプールがあった所で、タイルをはがして床を作り直すことから始まりました。少し広いスペースをもらうことができて、ここにきてやっと分子生物学的な研究スペースを確保することができました。小さいながらも研究の場を持つことができました。 さらにその5年後位に臨床研究棟(現1号館)が完成し、旧西病棟の部分と合わせて全体を統合して入ることができました。ここで初めて教授室、医局機能の室、医局長室、病理研究室、分子生物学的研究室など機能的な場を作ることができました。大変嬉しかったのは、他の多くの臨床教室と肩を並べて一緒に教室をもつことができたということです。それまではジプシー生活ではないですが、別の目的で建てられた古い建物を改造して、何とかスペースを確保してきたという気がしていました。その後は医師主導治験や分子生物学的研究のプロジェクトスペースを少しずつ加えて旧西病棟などに頂くことができ、機能的にも発展することができたと思っております。さらにこの1月からは研究棟3号館の完成とともに旧西病棟にあった研究室は移動させていただいております。 この20年間ブランチ的なものを入れると6回位の引っ越しを行ったことになり、これは神経内科という領域が比較的新しい後発の領域であり、講座としての出発も後発であったこととも関係していると思います。 神経内科教室の引っ越しの歴史は神経内科の領域としての変遷・発展とも二重写しになっていて感慨深いものがあります。この間に皆様からいただいた恩義に感謝申し上げるとともに、さらなる発展を祈っております。(そぶえ・げん)名古屋大学での神経内科教室の引っ越し祖父江 元医学系研究科 教員Ⅶ

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