かけはし No.318 送別特集
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私は平成元年4月に上司と共に大阪大学理学部から名古屋大学理学部に転任しました。平成元年を振り返ってみると、昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御され、平成に改元されました。4月から日本で初めて消費税が導入され、6月には天安門事件、11月にはベルリンの壁崩壊、12月には米ソの冷戦終結がありました。この時のアメリカ大統領は父ブッシュ、ソ連国家元首はゴルバチョフ。因みに日本の首相は海部俊樹、フランス大統領はミッテラン、西ドイツ首相はコール、中国総書記は江沢民。まさに政治の世界は激動の1年でしたが、経済の世界ではまだバブル経済の最中で、大卒初任給は16万円程度。実質GDPは430兆円。2年後の1991年にバブルが崩壊し始めその後の「失われた20年」へと続きます。この経済低迷を表す言葉とは裏腹に、その後の平成の時代、日本の物流網や住環境は整備され、さらにインターネットの発達に伴いパソコンや携帯電話を使った新しい文化が花開き、食糧や家電製品の溢れている日本社会は豊か(私にはそう思える)だし経済の低迷は指標の一つにすぎないように見えます。名大においても、平成元年にはキャンパス内の建物すべてが古く汚れておりましたが、その後、新築や耐震補強改修が順次進み、研究・教育環境が整備され見違えるほどです。大学の建物は、決して「箱物行政」の遺物とは見なされないでしょうが、税金で建てられたことには違いありません。中身の研究・教育で存在感を出さねば国民の批判が出るでしょう。というのは、名大では2001年以降6名ものノーベル賞学者の輩出がありますが、皆、「古い建物」でなされた研究業績です。新しい快適な研究環境で若い研究者の方々によって生み出される成果に期待します。 著名な先輩方と比べるまでもありませんが、私は研究・教育に関して貢献が少なくて恥ずかしい。私は、平成の最初の10年は古細菌から新規な光受容レチナールタンパク質(今では、全く異分野である神経回路を調べる光遺伝学のツールとなっています)を単離する仕事(構造と機能を理解するため)に、次の10年は、遺伝子実験施設へ移って高等植物のミトコンドリア全ゲノム配列を決定する仕事(ゲノム機能と進化の理解のため)に携わりました。現在は、本来安定なペプチド結合が酵素的・非酵素的に切断される仕組みを研究していますが、残念ながら定年にて時間切れです。この様に私はある研究テーマを続けるスパンが短く、そのテーマを何十年も追い続ける研究スタイルではありませんでした。しつこくトコトン掘り下げる性分ではないためでしょう。若い研究者の方々、私を反面教師として、個性的にしつこく研究を進めてください。 退職後は高校時代に興味のあった事の一つである経済理論などをマスターしようと思っています。四半世紀にわたってお世話になりました名古屋大学の皆様に感謝申し上げます。(すぎやま・やすお)杉山 康雄遺伝子実験施設 教員名古屋大学にて平成の時代を生きるⅥ

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