かけはし No.318 送別特集
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名大生協の組合員になったのは、詳しくは覚えていないが、1972年(昭和47年)4月に名古屋大学大学院農学研究科修士課程に入学したときだったと思う。それから1979年11月にナイジェリアにある国際熱帯農業研究所(International Institute of Tropical Agriculture: IITA)にポストドクとして出かけるまでずっと下宿生活をしていたので、様々に生協を利用させていただいた。院生時代は一日2食を理系食堂で食べ、書籍コーナーは北部生協にあったので、時には息抜きと本の背表紙を見に行った覚えがある。レコード(LP)もよく買って、聴いた。1枚1枚に思い出がある。そのうちに、北部生協は農学部からやや遠っかったこともあり、いつからかは覚えていないが、所属した研究室の先輩や職員ともども書籍班を作り、希望する書籍の配達という便利さを堪能した。今から35年以上も前のことであるから、アマゾンはなかったし、割高な専門書も値引きで買えるし、「世界の植物」など週刊雑誌も定期購読で忘れずに配達してくれることが魅力だった。 ナイジェリアのIITAでの約4年の間、すぐ近くにあったイバダン大学の本屋によく通ったものだ。見る物読む物ほとんど全てが好奇心をくすぐり、当時の米ドルの給料と現地通貨ナイラの交換レートに助けられて、本はよく買った。ほこりをかぶった棚を丹念に探すと掘り出し物(もちろん、自分にとってだが)が見つかることも多く、単身だったこともあって、よく時間をつぶしたように思う。手元にあるPhilip社のThe UNIVERSITY ATLAS(1975年刊)には、1980年6月28日購入と私のサインが書いてある。 1983年9月の帰国後、九州東海大学、農林水産省の研究機関や独立行政法人国際農林水産業研究センターで仕事をしていたが、縁があって、2005年4月に名古屋大学農学国際教育協力研究センター(農国センター)に着任した。いわば古巣に戻ったことになるが、当時農国センターは東山キャンパスの東端に位置する共同教育研究施設2号館にあったので、生協(書籍コーナー)からは遠かった。生協の組合員に再加入し、農国センターにあった書籍班にも加入して、現在も便利に使わせていただいている。 全てがスピードを求めるようになり、立ち止まって考えるより即座の行動がほめられる今の社会の中で、従来から生協の重要な役割であった、組合員の声をまとめ社会に発信して意見を公にすることは今でも重要な役割だと思う。その意味で、これからも生協に対して期待している。お世話になりました。(あさぬま・しゅういち)生協の思い出浅沼 修一農学国際教育協力研究センター 教員Ⅰ

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