かけはし No.318 送別特集
10/16

この3月で名古屋大学を定年退職します。名大には金沢大を経て1997年6月に赴任しましたので、名大では18年足らず過ごしたことになります。パソコンから文房具を始め、旅行の手配、日々の食事など生協にお世話になったことは数多くあるのでしょう。とくに、学生が博士論文を締め切りのぎりぎり前に仕上げて、提出日まで日数の少ない中で印刷製本してもらったことが、つい先日の話でもありました。思い出して見ると、自分たちも、研究費報告書の印刷や、シンポジウムの論文集など、期限の限られた中でしばしば無理を聞いてもらいました。レストラン「花の木」は日々のランチのほか、来客との会食や、研究会、学科会議の懇親会などで大変お世話になりました。2008年には、300名以上の参加者を迎えての国際会議を主催したのですが、論文集等の印刷や昼食のサービスのほか、南部食堂でのレセプションでは、暑い最中で彫刻を施した氷柱をサービスしてもらい、外国人はじめ多くの参加者に大変喜ばれました。 大学生協との付き合いのスタートは、1969年の京大入学に始まりました。入学時の学生紛争時には、過激派によって占拠され、学生大会がゲバ棒と機動隊に襲われたあの時計台の下にあった狭い食堂や売店は印象的でした。安価でおいしいランチが要領よく提供され、大学生活を始めたばかりの学生には頼り甲斐のあるものでした。またノートなど工夫を凝らしたオリジナル製品が提供され、大学生であるとの実感を深めることが出来ました。いまでこそ、大学のロゴマークのついたグッズが開発されていますが、当時すでに三葉葵を反対にした京大マークの入った定期入れなどがあったと記憶しています。学生服の襟章になる徽章があったのですから、... その当時からは半世紀近く経た現在、生協のイメージはだいぶ変化しているでしょう。コンビニやレストラン、カフェなど街的なイメージがキャンパス内にすら見られるようになり、一方学生の日常もキャンパス内に限らない時代です。新しい流れに媚びる必要は無いのですが、学生でも数年、教職員では数10年、キャンパスを舞台とした生活の時間スケールは、キャンパス外のコマーシャリズムとはまた違っているはず。大学生協が今後もしっかり戦略を練って、大学とそこに生活する人々を支えて、ひいては日本の健全な発展につながるように持続・発展していけばと願っています。(つじもと・てつろう)辻本 哲郎工学研究科 教員大学・教職員の生活と活動を支える大学生協Ⅸ

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です