かけはし No.318
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- 17 -魔言の辺りに雪がかなり降ったようだ。そのため、名古屋を出てから、新幹線は減速運転、乗っていても分かるくらいいつもとはスピードが違う。京都までに20分、余分に掛かった。以後その遅れはずっと続いて、岡山着も20分遅れ。これが後のスケジュールをめちゃめちゃにしてくれた。 今や、東京、大阪、名古屋などでは、電車に乗るのに、時間を気にすることなどは、余程特殊な場合で、普通は行けば10分か15分待てば乗りたいのに乗れる。ところが、ローカル線はそうは行かない。乗ろうと計画して切符を買ってあった列車は、10分前に出てしまっていた。計画通りなら、10分の待ち合わせで乗れるはずであった。待っていてはくれなかった。では、後があるかと言えば、無いわけではないが、2時間待たされる。今の我々の感覚では到底待てない。何より、次のが、訪ねた先を辞去した後に乗ろうとしている時間に漸く乗れるというのだから、話にならない。諦めてタクシーで目的地に向かった。 岡山からは乗り損なった智頭急行の替わりに、次に出た津山行きに乗った。これがまたのんびりした二両連結車。乗客からいえば一両で十分。田園地帯をひた走ると言いたいところ、走るときには、猛烈に走るが、総じてのんびりムード。時々並行して走る車があれば抜かされるか、いい勝負。天気は格別良かった。開けたところでは、以前は田圃であっただろう所に、新築の家が多く見られた。多くがソーラーパネルを屋根に頂いている。所々に、元、茅葺きだったのが、トタンで覆われ、メタリックに塗装された屋根が見える。総じて、のどかな風景、開けた集落から、一山を越えるのだろう、切り通しのような所を通る。今にも崩れ落ちそうな断崖の下を通る所もある。また次の集落、いくつものこういうところを通っていく。大した高低差はないようだが、かなり曲がりくねっているらしい。初め、背中から射していた日がいつの間にか、前から射している。緩やかにカーブしている、あるところは川に沿って走る。 ずっと窓から両側を眺めていたが、津山市街地にはいるまで、時にかなり賑やかに所もあったけれども、コンビニは一つ目に入っただけだし、交通信号も列車から見る限りでは二箇所しかなかった。正にのどかな田園風景、それに、最近の新築住宅だった。 偶に見る者にとってはのどかな風景も、そこに生活する人にとってどうなのだろう。その地に根付いた人にとってはともかく、通勤通学ということを考えると大変なことは直ぐ分かる。車が必需品になる。鉄道がこんなに間遠では、物の役に立つとは思えない。通勤通学時はもう一寸マシなんだろうが、この不便さ、遅さ、これでは車に太刀打ちできまい。そんなことを考えながら乗っていた。下りる人はあっても、乗ってくる人は滅多になかった。距離にすればどのくらいあるのだろうか、一時間半の間に、対向車とすれ違いのために待つ10分くらいの停車が2回もあった。 津山から先、美作加茂というところまで行く予定で切符は買った。ところが、それを待っていたらまた2時間近く待たなければならない。タクシーでいった。所要時間30分弱、せいぜい20㎞。 帰りがまた不思議だった。同じ線なのに、幾つか途中でぶった切って運行している。知らぬ者には、線が別れているか、方角が変わるのかと思うが、同じ線の延長上。通して運行すると、無駄になることがあるのだろう。乗客の中には、何回も乗り換えしながら、最後まで一緒だった人も何人か居る。 新幹線の世界と、在来線の世界は丸で別物のようだ。 (T) ただ、最近の子どもは、子どもどうしで、大人には分からぬ事を言っていることがある。彼らは自分たちで勝手にテレビをよく見ている。そこで色んな事を覚える。色んな言葉も言い回しも覚える。子どもが、他の子どもや大人との間でやりとりすることが必要なことは言うまでも無く、その機会が子どものあり方、環境によってかなり昔と違ってきていることは確かなことだ。 子どもに限らず、我々が語彙力を養うためには、色々な場面でいろいろな人に出会い、積極的に言葉を交わすことが必要だ。そのために必要な言葉は、実は、日常生活の場面だけからでは不足していること、語彙力を養うために最も肝腎な事は読書であることを忘れてはならない。読む本のことをとやかく言う前に、興味の持てる色々な本を読むことが言葉を増やす最良の方法であることは幾ら強調してもし過ぎることはないと思う。(T)ローカル線の旅 昨日2月14日、岡山の山間部に知人を弔問するために出掛けた。 前晩の冷え込みで、関ヶ原

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