かけはし No.318
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- 11 -で簡単に給油もできなくなった。確か、170円近くになった。当時の福田蔵相はその経済状態を「狂乱物価」と言い換えて、インフレというのを避けていた。 そのころ、日本で開催されたG7でも原油の輸入が大問題だったことを覚えている。おかしかったのが、原油の単位がバレルだったり、キロリットルだったり、トンであったりして、簡単には比較もできなかったことだ。それからもう一度、第二次オイルショックと言われることが起こった。以来、原油価格は上昇の一途を辿り、1バレルが150ドル近くに迫った。にもかかわらず、今回の急落以前ですら、ガソリン価格は第一次オイルショック当時と大して変わらないか、それ以下である。我々が直接的に感じるのはガソリン価格だからそう言うのだが、この値段だけを見ると以前は余程ボロもうけをしていたのだと思わざるを得ない。尤も、日本のガソリンは税金の塊みたいなものだから単純には言えないけれども。 こんな事を書くつもりではなかった。原油価格の急落で色んな事が起こっていることに興味をかき立てられたのである。現在、50ドルを割っている。昨年来50%以上の下落である。これで困るところと恩恵を被るところがある。日本は結局の所は得をするのだろう。勿論、石油収入が多くを占める産油国のダメージが大きい。ソ連崩壊後のロシアは大変惨めな状態だったのをプーチン氏の石油戦略で一大エネルギー供給国になった。今回の原油価格急落の影響は、ロシア国民の生活に相当響いているらしい。ルーブルの価値半減(このソ連のルーブル、固定価格時代1ルーブルが千円を超えていたことなど信じられないことだろう)、ロシア国民は、外貨建ての資金を使って家を建てたりしたため、返済に困難を来している。これだけ、価格が落ちても、サウジアラビアは減産しようとしない。安くても困らないのだろうし、アメリカのシェールガスの開発を妨害しようとする目的があるようで、1バレル20ドルになっても減産しないと言っているという。 日本人を人質にとって謂われのない身代金を要求しているいわゆるイスラム国、彼らが原油価格急落で密輸で得る資金減少に難儀して、これからも誘拐ビジネスを盛んに行うだろうというのは、穏やかでない。早くおさまって欲しいが、願わくは、安い状態で安定して欲しいものだ。 (2015年1月24日記) 自 責 今年八十三歳になる一人の老人、1959年12月14日の新潟港から、「万歳」の大合唱の中で、北朝鮮への帰還事業の第一陣を感無量で見送った人だ。船の上から必死で手を振っていた人達の表情が忘れられないという。 共産党員だったこの方は、社会主義国家の未来を信じていた。全国から新潟に集まってくる在日朝鮮人たちは、祖国へ帰還できることで、高揚感に包まれていた。その中に一抹の不安に顔を曇らせた日本人妻達もいた。「向こうに行って大丈夫か、行ったきりになることはないか」という質問にも、「心配しなくて大丈夫、日本人妻は優遇され、直ぐにも帰ってこれる」と迷うことなく答えた。 しかし、二年を過ぎる頃から疑問を感じ始めた。北朝鮮労働党幹部の尊大な態度、渡った人達から、石けんを送ってというような生活の窮乏を思わせる手紙が着いていた。64年には、北朝鮮に渡り、統制された監獄のようなその内情を見たが、未だ、暫く北朝鮮礼賛を続けた。 しかし、帰還事業の一時中断した67年、嘘をつき続けることが嫌になって手を引いたという。 この事業から一歩離れてみていると、「帰還船で帰った人達を地獄に追いやったようなものだ」との自責の念に駆られ、拉致被害者救済の運動に身を投じた(以上、中日新聞2014.9.8の記事)。 この老人ように、自らの行いを反省している人が居る一方、当時、この事業にかかわった政党関係者、政治家達から反省の弁は寡聞にして聞こえない。 話は変わるが、いわゆる従軍慰安婦問題を惹起し、日本人や日本政府にとって、とんでもない苦労を強い、世界に日本のイメージを失墜させ、大損害を与えてきた朝日新聞、社長の辞任くらいでかたが付く物でないし、「多大なご迷惑を掛けた」という通り一遍の謝罪だけで済むものとも思えない。良心の呵責に悩まされている人達もいよう。是非、大々的に社運をかけて「捏造記事を作った罪」を全世界に告白して欲しい。 アメリカでは、この問題が大きく報道される以前から、日本の戦争犯罪をほじくり出そうと、850万頁にも及ぶ文書を調査し、結局何も出てこなかったと、残念がっているアメリカ人や韓国人達が居る。 本当に、歴史の真実を知るのは難しいことだろうが、捏造記事を信じて、日本を責めようなどという魂胆はやがて自壊するだろう。そう願う。(田 2014年12月6日記)

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