かけはし No.318
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- 10 -ニュースに一喝!ニュースに一喝!人を殺す イスラム国(この言い方をNHKが過激派組織IS=イスラミックステート変えたのはいいことだが、イスラミックステートはむしろ不要だ)の残虐、非人道的行為は、インターネットを通じて世界に知れわたっている。人の命をもてあそんでいる。然も神の名の下に。そのため、まともなイスラム教徒達が大迷惑を蒙っている。イスラム教徒はみんなそうだと思う人やイスラム教に偏見を持っている人達はイスラム教自体がいけないのだと決めつけたがっている。それはやはりまずい。私はイスラム教を十分知っているわけではないが、人殺しを正当化するようなことは決してあるまいと思う。昨年来続くイスラム国による人殺し、憎しみの連鎖を広げてしまい、ヨルダンの空爆は激しく行われている。多くの人が死ぬだろう。ヨルダンのパイロットを焼き殺した報復の色合いが濃い。 イスラム国の人質事件が新聞紙面を賑わし、トップニュースになっている間に、日本ではとんでもない事件が発生している。名大の女子学生が七十七歳の知り合いの女性を部屋に請じ入れて、頭を斧で殴り、首をマフラーで絞めて殺していた。もう、昨年十二月のことだ。この犯人の女学生は、逮捕された後、人を殺してみたかった、子どもの時から興味があった、高校の時、同級生に毒を飲ませた、などと言っているという。殺人に興味があり、凶悪犯罪にとても興味を抱き、オウム真理教のサリン殺人事件、その他の、凶悪犯罪に共感を抱いたとまでは言わなかったかも知れないが、それに類した感慨を持ったらしい。そういうことに興味を持つ人が居ることは確かだろう。拷問についての本、死刑についての本など色々出ている。そういうことに興味のある人が書いたものだろう。それは、何も特別なことではない。人間の興味はあらゆる事に向けられるのだから。ただ、それを自ら実行するということはまるで違ったことだ。色々な学者がこの殺人事件に関して発言しているが、その解説を聞いても、一体何故、ということに関しては、種々様々な意見が出て終わりだ。人間の心理は複雑怪奇、思うことは自由であるが、それを行動に移せば、忽ち、犯罪になるということ、こういうことが分からないと困るのだ。去年も女子高校生が友達を殺した事件があった。似通った所がある。こんな事件の再発は何とか防がなければならない。 その報道も忽ち和歌山県紀の川市で起きた小学生殺害事件で、奥へ押しやられてしまった。小学生の近所に住む22歳の男が殺害した。中々捕まらなかったが、土地勘のある人間だということなどで、ほんの、数百メートルしか離れていないところに住む男が逮捕された。殺害を否認しているが、自宅にあった血痕に被害者のDNAと一致する物が出ているということや、色々な凶器などからも同様の反応が出ている。犯人と断定は出来ないのだろうけれども、素人には、犯人に違いないという印象を与える。剣道クラブなどで一緒だったこともあるという被害者を知らないなどと言うのも不自然であるし、どうして、近所では評判のいい子を「殺す」などということが出来るのか。 全然違う三つの殺人、私には、何れも、理解の外のことだ。動物世界では、と言うより、生物の世界では、自分が生きるためには他を犠牲にするということは日常のことだ。ただ、猛獣にしても、自分が空腹で、食べなければ生きていけない場合や、自分に危害が及ぶ場合の他は、むやみに殺し合いなど起こらない。人間世界はどうか。イスラム過激派の場合は、貧困が元だと言われることはあるが、今の状態は、異常である。今述べた二つの例は、それとは無関係だと思える。一体、何が狂気を引き起こしたのか、人間の心理は、複雑怪奇としか言いようがない。(田 2015年2月9日記) 原油価格が高騰して問題になっているのではなく、価格の急落が昨年来問題になっている。 思えば、私の知っている限りでも、大変な価格変動である。第一次オイルショックは昭和47年のことだったと思う。私の記憶では、原油価格は当時1バレル1ドル以下だった。石油輸出国機構(OPEC)が出来、当時石油のメジャーと言われる会社の独占状態であったのを打破しようとして、原油価格を上げようとしたのである。その騒動で、当時、ガソリン価格が50円内外であったのが急騰、然も、品薄原油価格

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