かけはし No.315
3/20

- 3 - 去る6月21日から24日まで沖縄に行ってきました。23日に執り行われた沖縄全戦没者追悼式に出席することと戦争の遺跡と平和の取り組みをしているところを見学しお話をお聞きするためです。沖縄はとても暑く連日34度で蒸し暑い日が続いていました。 21日昼から24日まで沖縄の戦争遺跡をくまなく見学し、現地の人にお話をお聞きしたり、ビデオを見せていただたりして、当時のことがいかに悲惨な状況だったか理解することが出来ました。以下がその全行程です。6/21(土) 那覇空港↓ニッポンレンタカー↓旧海軍司令部壕↓南風原文化センター↓沖縄陸軍病院南風原壕群20号↓南風原九条の碑↓ホテル6/22(日) ホテル↓対馬丸記念館↓小桜の塔↓福州園↓嘉数を探して彷徨、豊見城市嘉数×と宜野湾市嘉数○↓嘉数高台公園・激戦地跡・京都の塔・トーチカ跡・普天間基地にはオスプレイが↓昼食↓チビチリガマ↓「さとうきび畑」の歌碑↓道の駅かでな・安保の見える丘↓佐喜眞美術館↓琉球大学↓(佐喜眞美術館↓道の駅かでな)↓ホテル6/23(月) ホテル↓平和祈念公園↓沖縄平和祈念堂↓沖縄県平和祈念資料館↓平成26年度沖縄全戦没者追悼式・参加↓第68回白梅之塔慰霊祭・参加↓ひめゆり平和祈念資料館↓魂魄の塔↓荒崎海岸(ひめゆり自決碑)↓でいごの塔↓健児の塔↓レンタカー返却↓ホテル6/24(火) ホテル↓安里駅↓首里駅↓首里城・書院・鎖之間/さんぴん茶・琉球菓子↓旧32軍司令部壕↓首里駅↓おもろまち駅↓沖縄県立博物館・美術館[ナニ!!休館]↓昼食↓おもろまち駅↓県庁前駅↓那覇市歴史博物館↓県庁前駅↓安里駅↓ホテル・コーヒー・荷物↓牧志↓那覇空港駅↓羽田or名古屋 23日の沖縄全戦没者追悼式から書きますが、糸満市摩文仁にある平和記念公園には朝から大勢の遺族たちが訪れ、24万を越す住民、日本軍人、外国軍人、韓国・中国人などの名前を刻印した「平和の礎(いしじ)」に花束を供え、涙を流し、追悼の祈りをささげていました。この日は沖縄の各地で慰霊祭が行われており、お休みの日になっているとお聞きしました。 11時50分から始まった追悼式は正午に1分間の黙とう、遺族会、県知事、県議会議長が基地の県外移設を強く求める発言をされていました。次に安倍総理大臣と伊吹、山崎衆参両院議長が来賓の挨拶を行いましたが、通り一遍のお話で基地を縮小するだとか言っていましたが、70年近く経っているのに全然進んでいません。それよりも安倍政権は日本版国家安全保障会議の設置、特定秘密保護法案、集団的自衛権の容認など憲法の改正なく日本を戦争のできる国にしていこうという魂胆が見え見えです。私たちには白々しく聞こえました。 21日から22日にかけて見学した豊見城市にある旧海軍司令部壕、南風原の沖縄陸軍病院南風原壕群20号は必見です。対馬丸で幼い子供たちが疎開するために船に乗っていて撃沈され多くの小さな命が失われましたが、これについても軍人たちの食料のためと足手まといになるという理由で強制的に疎開させられたのです。沖縄に行かれた時は楽しい観光もいいですが、これらの地をぜひ訪ねてみてください。 日本はこの憲法がある限り、軍隊を持てないし、戦争行為もできません。このことを世界中にアピールすることが重要です。経済的な援助や人的支援などで貢献していけばいいのです。 日本は敗戦後、平和憲法のもとで70年間殺されたり、殺したりしていません。これを誇りに思い平和憲法を守っていくことがこれからの若者たちに課せられた使命だと思うのです。この7月、8月に家族や友達と平和について勉強したり、語ったりしませんか。(工学研究科 技術補佐員 皆川清)平和憲法を守っていこう!! 日本国憲法の下で70年思いを新たに主 張

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です