かけはし No.315
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- 10 -言魔憲法解釈 安部首相は憲法改定のために先ず96条の改訂を考え、憲法改訂をやりやすくしようとしていた。しかし、それはルール違反ではないか、汚いやり方だという声に押されたためか、それを声高に言うことは止めた。しかし、憲法改訂の思いは決して捨てたわけではない。今は、時に利有らずというわけで、今まで一貫して政府が否認してきた集団的自衛権の問題について、躍起になって解釈を改めようとしている。この集団的自衛権というのは、国連でも認められ、自衛権があるように、どの国にもその権利はあるのだという。しかし、日本国憲法では集団的自衛権行使は認められないという内閣法制局の見解だった。それを変えて認めようとしているのである。そのために、集団的自衛権行使に慎重な連立与党公明党の賛同を得て閣議で認めるように決定しようと与党協議が急ピッチで行われているのである。公明党は些か面食らって、ドタバタしているようだ。他の野党にも、集団自衛権行使賛成の党は幾つもある。 一方で、憲法は政府を縛る物であって、政府の勝手な解釈でもてあそぶべき物ではない、一内閣の都合で変えては、立憲主義そのものが否定されかねないという議論がある。 だから、憲法を変えろと言う人達もいる。しかし、現在の日本国憲法は不磨の大典ではないとしても、その9条故に、戦後の日本が戦争に巻き込まれずに来たという実績があり、今、未だその動きは小さいけれども、世界にその意義は徐々に広がりつつある。「キュウジョウ」という言葉が出来て通用しているという。それが気に入らないという人々も居るから事は面倒だが、大切にしなければならないことは確かなことである。 一方で、日本が、憲法の制約で、限られた自衛しかできないということで、自衛隊が、見くびられて、不当な侮りを受けていることも一面有るようである。広い世界の中では、それ故に日本の憲法を尊敬している人達もいると言われる。 しかし、昨今の日本の憲法に対する動きを、自国のことは棚上げしておいて、内政干渉的にとやかく言いたそうにしている人達が思い描かれる。集団的自衛権行使を日本に認めさせようとする動きはそういう人達と連動している。 憲法を守ろうとしている人達も他国に侮られることを望んではいまい。日本国憲法自体が望んでいる方向を押し広めていきたいものである。しかし、それがそう一筋縄ではいかないところに、憲法を変えてしまおうという人々や、解釈で何とか行こうという邪な思いがうごめいてくるのである。何とか、酷いことにならないうちに、いい方向を見出したいものだ。 (T)サッカー熱 何時からこうなったのだろう。今の日本の状況、と言うか、マスコミの様子は尋常ではない。このところサッカーワールドカップ一色だと言っていい。新聞、ラジオも、テレビもサッカーに関係ない物を探すのが大変なくらいだ。 ファンにとって4年に一回の大会は待ち遠しいことはよく分かる。この大会に出られるだけでも大変なこともよく分かる。それを5回連続出場しているということは、日本にもサッカーが定着したということなのだと思う。少し前とは確かに取り巻くあらゆる事が違ってきている。 我々が学生の頃、クラブの合宿期間中は、午前は何かの球技をして時間を過ごした。ハンドボール、ラグビー、バレーボール、バスケットボールやソフトボールをして遊んでいたようなものだ。ソフトボール以外は、どれも随分走らなければならなかった。狭いコートでもバスケットはそれが激しかった。バレーボールはほれ程でなくても、突き指が怖かった。そんな中で、サッカーはやった覚えが殆ど無い。時代の違いを強く感じる。もう50年以上前のことになる。 思えば、日本のサッカーはよく発展した。世界に通じる選手も何人か居る。そのことは確かに結構なことで、今度の大会でも、頑張って欲しいとは私自身も人並みに思って応援はする。しかし、最初に書いたように、昨今の様子は一寸度を過ごしては居ないか。初戦を失って、一寸気勢をそがれた感はあるが、とにかく、日本中が、サッカー一色という感じはやはり本当は度が過ぎている。興味のない人も、あまりのサッカー騒ぎに嫌悪感さえ持っている人もいる。

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