かけはし No.314
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- 8 -はじめに 大学に入学してから40数年が、また大学で教員として働き始めて30数年が経過した。私は、大学紛争後に大学に入学したから、いわゆる紛争世代とは少しずれる。しかし、高校1年生の時に長野の田舎で学校封鎖を経験した。当時の高校生は、背伸びをしていたところもあるが、大人びていて、理屈も立ち(教師を議論で負かす生徒もたくさんいた)、将来を真剣に考えていたと思われる。もちろん時代思潮でもある。 私が大学に入学したときには、大学紛争は終息を迎えていたが、学費値上げ反対で全学ストをしており、入学式もなく、新入生歓迎オリエンテーションから始まり数ヶ月は授業どころではない様相であった。その後も小選挙区制反対デモが学内でも日常化するなど、紛争後とはいえ、大学の状況は今とは明らかに異なっていた。そうした中で私自身も、田舎から出てきたばかりで、右も左を分からない中で、状況に何とか追いつこうともがいていたような気がする。 といった時から40数年が過ぎたが、良きにつけ悪しきにつけ大学の変わりようには驚くべきものがある(キリスト教系の女子大の学園祭に行って立て看が全くないのに驚いた経験があるが、現在では名古屋大学もそれに近い状況である)。そのことを私なりにまとめておくことも、大学に長らく関わった者の責務と考えるようになってきた。生協理事の箕浦さんの好意に甘えて、そんなことを雑感として記してみたいと思う。1 4大失敗改革 1970年代、80年代の日本の大学は、紛争時の異議申立てをよそに、何事もなかったかのように推移していた。東大解体を叫んだ人たちが目の前で平然と講義をするのを聞いていて、少し違和感も感じたが、それもまた人間かといった空気が漂っていた。ポスト・モダン的な思想、文化が、次第に大学という知的空間を席巻し始めていた頃でもある。大学とは何か、大学の自治とは何か、大学の権力構造の何処に問題があるのか、といった問いは余り聞かれなくなっていった。 さて、1980年代後半以降から、日本の大学は大きく様変わりしていく。そして、今までに遂行されてきた数多の大学改革には、積極的に評価すべき点もあるだろうが、私にはむしろ失敗の繰り返しではなかったかという印象が強い。これは私の評価であるが、そのこと自身がおそらく争点となるであろう。 大きな失敗となった改革は、次の4点である。 第1は、1990年代初め頃から始まった教養部廃止・解体である。文部省・その後の文部科学省(以下ではまとめて文科省という)の官僚は、大学の自発的な意志によって行われたもので、上からの押しつけではないと言っているが、当時の事情を知る者で、それを鵜呑みにする者はまずいないだろう。この現象は、日本の大学の関係者から教養を奪い、大学生にまともな教養教育を実施する制度を解体させてしまった、というのが私の意見である。そのことは、「教養」とは何か、という問いとも関係している。 第2は、90年代半ば以降から進められた大学院重点化である。この結果、大学予算は25%という大幅増額になったが、多くの高学歴難民を生み出すなど、失うものもあった(水月昭道『高学歴ワーキングプア』(光文社、2007年)が詳しい)。 第3は、2004年から始まった国立大学の法人化である。大学の自律性・自主性を高める制度設計とされたが、まったくそうはならなかったのは、周知の事実である。安定的な運営費交付金制度から、競争的資金への予算仕分けの移行も、このことと関係している。 第4は、同じ年に始まった法科大学院である。というよりは専門職大学院全体がかなり機能不全に陥っているのであるが、法科大学院のそれが特に顕著である。私も当時、法学研究科の評議員としての役職にあり、法科大学院の開設に邁進していたから、責任の大きな部分を負わもうひとつの大学論(1) 法学研究科 和田肇

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