かけはし No.313
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- 25- 月日というものは早いもので、41年前学生服を着て面接にきた私が、いつしか41年もたって定年退職を迎えることとなりました。この間、生協には言葉では語り尽くせないほどの恩恵を受けました。改めてこの場を借りてお礼申し上げます。 私の「生協との出会い」は不純なもので、書籍が10%割引になると聴き直ちに100円組合員になりました。その後書籍費が増えるに伴い正規出資に変更。その後も様々な恩恵を享受していました。 生協の良さがわかったので地域生協に加入したいと思い、千種区若水町の名勤生協に加入を申し込みました。ところが加入を認めてもらえません。当時の地域生協は配達の分配作業に協力できることが条件でしたが、当時「父子家庭」であった私は平日勤務時間中に参加することは不可能です。しかし、平日の分配作業に参加できなければ加入を認めないとの一点張り。母子家庭も同じ条件でしょう。勤務時間中に地域の配達を手伝えというのはあまりにも理不尽です。例外は認めないというのも官僚的な物言いです。「父子家庭や母子家庭を閉め出すような規定がまかり通っているような勤労生協は生協運動の趣旨に反する。弱い者いじめの組織で本末転倒ではないか!」と詰め寄りましたが、激論の末、答えはNOでした。毎日の買い物に困っていた私は失望とともに当時の役員に強い不信感を抱きました。(ちなみに、私はこの結末を様々な機会で発言したこところ、地域や住宅の仲間うちからも受付窓口の対応を批判、基準を見直して今では柔軟に対応していただけますのでご安心ください。) 私の生協への意識を大きく変えたのは「平和憲章制定運動」です。 もともと、初任者研修での芦田淳学長の「名古屋大学の職員になったなら憲法と教育基本法の精神が実現するよう努力されたい」との訓示に感動し、名古屋大学が理念や理想を大切にして人類の希望と学問への志が全うできる学びと成長の場であり、私もその一員として力を尽くしたいと考えていたので、平和憲章の制定運動の最初の文言を決めるところから積極的にかかわっていました。その中で、継続的に真摯に取り組み続け、運動が冷めていくなかでも平和憲章の行動綱領を誠実に実行しようとする生協教職員委員会の姿勢に深く感銘を受けました。 私が組合中央執行委員会の平和担当になった2000年頃から教職員委員会のメン生協とともに41年、山あり谷あり河合 利秀全学技術センター 職員- I -

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