かけはし No.313
22/26

- 22- 私が名古屋大学で働き始めたのは1972年(昭和47年)4月でした。1年間技術補佐員で翌1973年から正式に常勤職員として41年間名古屋大学で働かせていただくことができました。初めは工学部機械工学第二学科の職員として23年間、その後、電子機械工学科に移って8年ほど業務を行い、技術部集中化に伴い現在のところで10年装置の設計・製作や創造工学センターの担当としてお仕事をさせていただきました。その間、学科の再編成や恩師の退官、大学の法人化などもあり、まさに変化変化の時代だったような気がしています。 幸いなことにいい先生方、先輩・同僚たち、学生諸君に恵まれて42年の永きに渡り働いてこられたのではないかと思っています。仕事はもちろんですが、それには名古屋大学生協と労働組合を通じて部局や上下の関係なく多くの教職員の皆さんとお付き合いをさせて頂いたからこそだと思っています。バスで潮干狩りに行ったり、学科の教職員とあちこちに観光に行ったり、ソフトボールやサッカーをしたり楽しい時代を過ごすことができました。このごろ感じるのは諸先輩たちがいたからこその自分が仕事を覚え、いろいろな業務に対応できたんだなあとしみじみ感じています。生協の関係では教職員委員会推薦の理事として「かけはし」の発行に携わり、毎月の発行が大変だったことを今でも覚えています。企画では、音としゃべりの金曜サロンを26回も行い、色々なミュージシャンに出演していただきました。その中には普通ではとても払える金額ではないオユンナさんのコンサートもオユンナさんが名大の大学院生ということでPAを使って行えました。ジャズが好きなので半分以上がジャズのコンサートを行うことが出来ました。いつものことですが、開催日直前まで参加者が確保できないなど眠れない日がありましたが、当日にはしっかり35~50名ほどの参加者で楽しい時間をもてました。栄での打ち上げで大泣きしたことをよく覚えています。 また、全国の教職員と交流できる全国教職員交流セミナーが2年おきに開催され、全国の有名な大学や生協に行くことが出来ましたし、お友達も出来ました。そして、大学の皆様の協力で現在の立派な生協のお店が出来たのを目にすることができ、いろいろ大変だったけど生協の活動に参加してよかったなあと思っています。労働組合の活動についてもたくさんの方々と協力して待遇改善や文化・レク活動に精一杯やったことを思い出しています。 今後も大学生協と職員組合の発展に微力ではありますが協力していきたいと思います。 今後とも名古屋大学生協のご利用やご提案をよろしくお願いいたします。(みながわ・きよし)皆川 清全学技術センター 職員- IV -名古屋大学(生協)の思い出

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です