かけはし No.313
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- 12 - 「悪循環」という言葉は昔からよく聞く。最近はよく聞くこの「好循環」という語は、以前、余り耳にしなかった。特に、経済関係、景気の話しに関してよく使われるようになったが、未だ何となく違和感がある。意味するところは簡単明瞭である。辞書にはこの言葉は未だ掲載されていないようだが、「悪循環」はある。広辞苑には「ある悪い状態が他の悪い状態を生みだし、後者がまた前者を悪化させるような過程。また、一つの困難を言魔解決すると、それによってまた別の困難が生みだされるという状態が際限なく続くこと。」とある。この「悪い」を「良い」に換えればいいのである。「ある良い状態が他の良い状態を生みだし、後者がまた前者をよくさせるような過程」である。ただ、これをわざわざ「好循環」と言わず、「循環」だけでいいように思うが、敢えてそれを「好循環」と言わなくてはならないのが、昨今の景気なのかと思う。 「果報は寝て待て」などと言う「果報」は文字通りならば「結果としての報い」と言うことで、善悪の判断はない。しかし「果報」だけで「いい報い」の意味に使われる。単なる「結果」だけではない。そう言えば、「結果」もこのごろは「いい結果」の意味に使われる。スポーツ選手が、「結果を出さなければならない」「やることをやっていれば結果は自然に着いてくる」などと言うが、この時は「いい結果」に決まっている。以前からよく使われるのが「評価」である。評価にはいい評価も悪い評価もある。しかし、「あることを評価する」というように使うときは、必ず「良く評価する」ことを意味する。悪い評価を下すときには「評価する」とだけは言わない。 そう言う意味では、悪循環は 昨年末、日本相撲協会から出しているカレンダーを貰った。今年のカレンダーの表紙は、力水を付けている両者の手と、柄杓だけが写っている。いい図柄なのであるが、それを見て私は思った。両者の4本の手の内、3本の手首にテープが巻かれている。それだけでなく、指にも丁寧に巻いてある。1本の手は陰になっていてテーピングがしてあるのかどうかは分からない。 これに象徴されているように、今の力士の体には、そこら中にテープやサポーターが目立つ。横綱白鵬には廻し以外何も付いていないような印象だが、昨年の暦の最後に載っている白鵬の写真には、両手首にかなり幅広のテープと左手の中指薬指に掛けてテープ、両足の親指にもテープが施されている。怪我の予防のためにするのだという。我が相撲仲間の連中も稽古前にかなり念入りにテーピングをしている。しかし、みっともいい物ではない(こんな表現はないかも知れないが)。それかあらぬか、今年の暦の後の頁では、化粧まわしなどで隠れている所為もあろうが、相当派手なのは琴欧洲の膝のサポーター以外見えない。 栃錦や若乃花、大鵬、柏戸にそんなサポーターやテーピングがあったような記憶はない。勿論子細に見ればあったのだろうけれども。 ただ、実際の取り組みの段になると、とにかく目立つ。怪我もこの頃特に多いように思う。昨年の九州場所で琴奨菊と琴欧洲の二人が相次いで土俵下に落ち、肩などを大けがして以後休場し、琴欧洲は大関陥落、琴奨菊も角番で初場所を迎える羽目になった。運が悪かったのだろうが、あの程度のことで大けがをしていては溜まったものではない。 大相撲の新弟子の体格検査は、中学校卒業で、最低でも身長165㎝以上、体重67㎏以上となっており、他に健康診断をする。例外はあるが、とにかく大きくなければいけない。確かに大きい方が有利に違いない。相撲では一貫目一技という諺があるくらいだから、最初小さくても、一生懸命大きくなろうとする。沢山稽古をして、沢山食べ、沢山眠って大きくなるのも修業だという。それにも度というものがあろう。 私は持論として、大相撲も重量別にした方がいいと思う(勿論異論のあることは重々承知している)。新弟子検査は重量に上限をもうけるべきだと思っている。現在では、200㎏を遥かに超えるような力士が居るが、怪我の元。朝青龍や白鵬くらいが丁度いい体重なのだろう。栃錦、若乃花、千代の富士にしてもそんなに大きくなかった。 私の若い頃の記憶では、幕内で一番重かったのが、大起(おおだち)で40貫(今で言う150㎏)だった。 大きくて機敏ならばそれに越したことはないのだろうが、お相撲さんも健康には気をつけて怪我をしないようにして欲しいものである。 (T)好循環相撲さん

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