かけはし No.312
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- 9 -長時間にわたって自然と人間(活動)を破壊する原発事故、社会保障システムの崩壊、貧困と格差の拡大、社会的排除・差別の深刻化といった文明の危機に直面したときに、持続可能性という概念はそれへのアンチテーゼとして一層有効性を増すと考えられている。 こうした文脈の中で日本にとっての(本来ならば地球の未来の)持続可能性の意味を、社会科学、そして私の専門分野では、法学の面で捉え直す作業を通じて描くことが我々に求められているといえよう。三 何故持続可能性なのか 何故持続可能性がこれほどまでに叫ばれるのかというと、多くの論者の中に、社会の持続可能性が次第に失われてきているという認識があるからである。つまり、社会を構成してきた諸制度(財政、雇用、社会保障、教育、環境)がそれぞれの機能不全に陥り、各制度間の緊張関係・相互依存性の危機が深まり、諸制度への信頼が弱まっている。ここでいう諸制度にはさらに平和外交(平和的生存権)、民主主義政治、官僚制、地方自治といった諸制度も含まれる。 たとえば国際関係における日本にとっての焦眉の課題は、東アジア地域における平和構築への貢献である。しかし、安倍内閣という国家主義的な色彩の強い政権は、積極的平和外交論(専守防衛から攻撃的防衛へ)、国家安全保障会議の設置、解釈改憲による集団的自衛権の容認、特定秘密保護法の制定を、そして自民党改憲案(2012年4月27日)では国防軍構想等を提唱するが、こうした一連の流れは、我々が提起してきた武力に依存しない平和構築の構想と全く相反するものである。むしろ地域での緊張をより高める危険性すらある。 東日本大震災や原発事故の被害は、元々社会資本、働く場所を提供する第2次・第3次産業、あるいは医療・介護体制等のセーフティ・ネットが衰退し弱体であった過疎・高齢地域の欠点を増幅させた。国土の不均衡発展のため福祉・医療・公的サービス、地方自治体の財政的・人的不足、あるいは社会問題の解決をサポートする法律家の不在等、こうした制度が貧弱な地域での災害であった。こうした制度の弱体化を平成の地方自治体大合併は促進することになってしまった。これらはいずれも人為的に作り出された危機である。四 持続可能性の中身を問う 持続可能性という概念(コンセプト)自体については、ほぼ共通にその有用性が認められているが、その中身に立ち入って考えるとアンビバレンツな側面が出てくる。 たとえば少子高齢化の中で持続可能な社会保障システムを維持する場合に、現役世代の負担を増やせないという前提に立つと、高齢者の給付をかなり抑えなければならないという意見も出てくる。しかし、厚生年金の受給年齢の引き上げにも限度があるし、生活できない程度の年金では、結局は社会福祉へのしわ寄せといった他の問題が生じてしまう。 そこで、EUなどで議論されているような、社会保障における持続可能性プラス「十分さ」という要素をどのように両立させるか、といった課題が出てくる。ここでは、最低限度の生存権の保障は、憲法25条に明記されているように重要な憲法的価値であることを如何に考慮するかが重要となる。 あるいはまた、化石燃料の限界や電力の安定供給という面から考えるのか、それとも環境負荷や生活そのものの見直しをも含めて考えるかによって、エネルギー政策の持続可能性は異なりうる。原子力政策をどの視点で論じるかによって、その方向性には大きな偏差が生まれる。 さらに、持続可能な雇用社会と言った場合に、新自由主義の主張では、非正規雇用の賃金アップのために正規雇用の賃金をかなり引き下げる、あるいは非正規雇用の雇用不安定を解消するために、正規雇用の雇用保護を減少させるといった提言が出てくる。しかし、格差問題をこのように労労紛争の枠内に閉じ込めてしまうのは、企業収益の労使間の配分問題の側面を捨象してしまうので、有効な解決策にはならない。 そこであらためてこの問題について、厚い中間層、社会的包摂、質の高い雇用といったキーワードで論じ、この解決策を説明してみたい。 このまとめで私の長い間の連載の結びにしたい。

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