かけはし No.312
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- 13 -魔言つまらない人生 言葉雑感 先日ラジオ放送で「つまらない人生を送ろう」というコマーシャルが流れていた。 普通ならば、「つまらない人生」などと言えば、文字通り「つまらない」退屈な、面白くもない人生を思い浮かべるだろう。それを推奨しているのである。意表を突いた広告で、面白いので耳にとまった。血管が詰まったら大変、血管と言わず、腸が詰まっても大変、いずれも命に関わる。何でも、滞りなく流れていてくれなくてはいけない。人体だけでなく、道路でも、詰まれば大変、トンネルが詰まったら一大事である。お金にしても、一箇所に集まって流れなくなれば大変なことになる。 「つまらない」と言うことは、スムーズに流れるということ、大変重要なことだと思ったが、「つまらない人生が大切だ」とは今まで余り考えなかった。 話変わって、今日、カーリング女子のチームがソチオリンピック出場を決めてドイツから帰ってきた。その時のインタビューを聞いていたら、「これから、気持を高ぶらせて是非頑張って遣っていきたい」というようなことをキャプテンが言っていた。スポーツ選手は時々面白いことを言う。前にも書いたように記憶しているが、高校野球の選手が、「明日は、みんな浮き足だってやっていこうと思う」ということを、プラスイメージの言葉としていっていたことを思い出す。 (T)りは、今の選挙制度では、全国平等にする事は不可能である。それで、全国を九ブロックに分けることが提案されていたが、提案者の西岡武雄氏が亡くなったために、その案も頓挫して、後は放置されたまま。 今回は、また、比例代表制を多くの党が主張し始めている。第三者による有識者会議で決めることも一部に取りざたされているが、結局党利党略の狭間の中でもみくちゃにされ、上手くはいくまい。 選挙制度の抜本改革を裁判所は求めている。但し、何れの場合も、一票の価値を同じようにすることを大前提にしている。こういう前提自体を考え直そうという議論を聞かない。こういう前提ならば、もう本当に参議院は不用である。別の考え方に立つべきだろう。戦後直ぐの時代の方が、参議院の本来のあり方を今よりは体現していたように思う。其れで、参議院を「良識の府」と言った。ところが、何時の頃からか、完全に参議院も政党化し、衆議院のコピーと化した。偶々、衆議院と比率が違うと、ネジレ現象などと、不正常な状態のように捉えられたりした。 私は提案する。政治学者でも、法律家でもない一介の言語学者の提案、しかし、まともに考えている。以前から、何度となく提案してきているが、衆議院と参議院は別の物である。同じ選挙制度による必要はない。議員の資格も別の物と考えるべきである。特に、以前はそうだったように参議院議員は大臣には特別の場合以外は成らない。地域の特性を重んじて、地域の代表としての性格を強く出すべきである。各都道府県は平等、同数の議員を割り当てる。人口の多いところの人が不満ならば人口の少ないところで立候補すればいい。こうすれば、人口の都市集中にも何らかの歯止めになるかも知れない。 基本的に、参議院はチェック機能に徹する。どう区分けしているのかはっきりは知らないが、アメリカの上院は、各州二人、二年ごとに三分の一ずつが改選される。同じとは言えないが、アメリカの上院議員でも決して人口に比例してはいまい。 その権限をどうするかは、議論しなければならないが、アメリカのような例もある。全然別の考え方もあろう。同じような性格の物が二つは要らない。慎重を期すためというなら、今だって出来る。 議院内閣制というのもひょっとするとネックになるのかも知れない。以前から言われている首相公選制、長所短所併せ持つが、国民のチェック体制を整えるためには、一つの選択肢になる。 何れにしろ、一票の価値を同一にすることだけを目的にした参議院選挙改革では駄目である。それは、衆議院選挙で徹底して欲しい。 (T)

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