かけはし No.311
14/28

- 14-ニュースに一喝!ニュースに一喝! 靖国神社の秋の例大祭の時期になって、またぞろ安部内閣の閣僚が参拝したのどうのと喧しくなっている。例によって中国は報道官が口汚く罵っている。参拝した大臣は、心の問題であり、外交問題にする方がおかしい、自分の肉親も祀られているから参拝するのだと。安部総理大臣自身、自ら参拝することは外交上の損失が大きいと、参拝を控えてはいるが、国のために死んだ人を敬い参拝するのは当然だと言っている。 抑も、この参拝が問題になり始めたのはそんなに古いことではない。歴史を直視しろと韓国や中国は言う。そのことはお互い確かに必要なことである。少し調べてみた。 靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。1877年(明治10年)の西南戦争後は、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。 国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のことだという意見に対して、太平洋戦争の本質について日本の侵略だったのか自衛だったのかといった歴史認識、日本軍が送られた近隣諸国への配慮から政治家の参拝を問題視する意見もある。終戦の日である8月15日の参拝は太平洋戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなっている。 ただこれに対して、外国からとやかく言われるようになったのは、1985年に中曽根総理大臣が参拝し、それに先だって、朝日新聞が靖国問題の特集を組んだことから、中国政府が史上初めて公式に靖国参拝を非難し始めたのであった。それ以前、A級戦犯が合祀されてからも、特に非難されることはなかったのだ。その意味で朝日新聞が避難の火種を提供したと言えなくもない。 このことを毎年のように取り上げ、大きな問題とされていることに対して、マスコミの報道もその気分を増長しているとは思うが、一国民としては、大いなる違和感を持つ。特に、肉親が祭祀されている人々にとってはどんな気持だろう。 尤も、外交問題になるから参拝を控えようという政府要人の靖国神社参拝彼岸の中日は国民の休日 国民の休日と祭日との詳しい区別は知らないが、彼岸の中日、春は春分の日、秋は秋分の日、共に休日である。 一寸、旧聞に属することで恐縮だが、やっぱり気になるし、その時のメモが出てきたので、書いておく。2002年の9月23日の午後1時のNHKニュース、「彼岸の中日と休日が重なったため、今日一日でお参りの人は…」というのを聞いて、怪訝に思った。いつだって、彼岸の中日は休日なんだがなぁと思ったのである。違うのだろうか。それとも後で訂正があったのか、どう配慮もある。そうすると、寧ろ批判する人々は批判の矛先を向ける所が無くなって困惑するのではないだろうか。批判の為の批判は止めなければ成らない。反省すべき事もないわけではないが、人に言われてするようなことではない。この批判は一種のガス抜きであり、日本に対する敵愾心の表れでもあるのだろう。我々としてはこの例大祭も他の神社のお祭りのように静かに迎えたいものだと思う。(田 2013年10月19日記)でもいいと思う人が多いだろうが、聞き逃せないように思った。彼岸経に行く途中、車の中で聞いていたので、その前後の細かいことは知らない。このニュースの断片についての違和感である。 こんな旧聞が気になったのは、その時の台風10号の進路についてのアナウンサーの意外な発言に触発されたからだ。民放はともかく、NHKのアナウンサーも、最近はもう言葉の手本にならないことは知っている。がしかし、丁度気象のことを扱っていた最中のことである。この台

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です