かけはし No.311
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- 13-が大幅に導入された。労働法の規制緩和の走りがここにあった。結論から言うと、過労死や過労自殺を生み出すような労働時間規制には、残念ながらほとんど手が付けられていない。 なお、労働時間の短縮の方法論や目的は、先に紹介したドイツ等と日本では大きく異なっている。つまり、内的な要求なのか、それとも外圧への対応策なのか、法律によって行うのか、それとも労使の努力(場合によっては大規模なストライキを伴って)によって行うのか、という違いである。日本の企業別組合は、同一産業の競業他社のことを気にして、自社において進んで時間短縮をしていこうとはしなかった。こうしたことが、労働時間規制に対する日本とEC諸国との大きな違いとなっている(タダ残業や大量の年休の繰り越しはドイツ人らには想像ができない)。 第三に、一九八五年には、男女雇用機会均等法の制定と前後して、悪名高い労働者派遣法が制定されている。これは、それまで禁止していた労働者供給事業(口入れ屋稼業)の一部を法認するというものであり、労働法の規制緩和の代表格である。これがさらにその後大幅な改正を受け、その結果がリーマンショック後の大幅な派遣切りとつながっていった。この改正過程については既に触れているので、ここでは詳しくは述べない。 派遣労働者は、全労働者の二〜三%であるので、数的には小さな存在であるが、その規制哲学が重大なので、規制緩和のトップランナーとして扱われることになる(この問題については、最近、和田肇・脇田滋・矢野昌浩編『労働者派遣と法』日本評論社・二〇一三年という本を出したので、興味のある方には読んで頂きたい)。 この時期の労働法の特徴は、部分的には労働権の強化の側面がありながら、規制緩和の助走が始まっていたと言うことができる。ただし、女性の差別禁止についていえば、憲法一四条の雇用分野での具体化であり、その意味では市民社会での正義の実現(同時に改正された女性の相続分を二分の一にする民法改正、国際結婚における父性主義の廃止)と同じレベルの話である。したがって、私はこれを労働権の強化とは考えていない。経済学的にはホモ・エコノミクスに対応した法規制であり、規制緩和論者である労働経済学者もそのように捉えている。 六 EC・EUと日本 一九八〇年代をヨーロッパと日本とで比較したのは、一九九〇年代以降の経済のグローバル化、世界規模での競争の激化の中でも、労働法や社会保障法の対応が異なる要因の一端が描けると考えたからである。もちろんイエスタ・エスピン=アンデルセンが描いたように、同じヨーロッパの中でも福祉レジームには異なるタイプがあるが、私が主として念頭に置いているのは比較的日本に近似しているドイツ型である。 ドイツでも一九九〇年代に規制緩和論が強く主張されたし、そうした方向での立法改正も行われてきた。その結果、非正規雇用の割合は、日本より少し低いくらいで、同じく急増している。労働者派遣法は、日本で制定される際のモデルとなったが、厳しい規制を加えていたが、その後幾たびか緩和されてきている(当初はドイツでは登録型は認められていなかったが、二〇〇二年改正で認められるようになった)。いずれにしてもドイツでも非正規雇用問題は、今日の労働政策の中心的な課題となっている。 しかし、いくつかの点で大きな違いがある。一つに、ドイツでは同一価値労働同一賃金原則がかねてから導入されており(性差別の場合一九八〇年代から)、それが背景となって正規雇用と非正規雇用の均等処遇(パートとフルタイムの対比の場合には時間比例原則)が認められてきた。法律として規定されるようになったのは、二〇〇〇年に制定された「パートタイム労働・有期労働契約法」においてであるが、それ以前から間接差別の中で処理されていた(パートタイム労働は圧倒的に女性労働であるので、パートタイム差別は間接差別となるという法理)。派遣労働者の派遣先従業員との同等取扱いが認められたのは、二〇〇二年の労働者派遣法改正においてである。 また、有期雇用は臨時的なものとして位置づけられている。ドイツでも同様にいえるが、明確に無期雇用原則が採られているのはフランスにおいてである。これらのことを次回にさらに詳しく述べてみたい。

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