かけはし No.311
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- 12- 今、雇用の現場で起きていること(その27)過去に学びながら未来を考える(2) 法学研究科 和田肇(承前)四 一九八〇年代のヨーロッパ 一九八〇年代は、日本がキャッチアップ型経済から先進国入りした時期である。この時期には、日本型雇用慣行は「ジャパン・アズ・ナンバー1」と世界的にもてはやされた。 一九七〇年代前半のオイル・ショック(第一次)から、世界経済は停滞期に入る。欧米諸国では失業率が一気に一〇%前後にまで跳ね上がるが、日本では産業構造改革が比較的スムーズに進んだので、失業率はそれほど高くはならなかった。このことが、日本型雇用慣行が賞賛された最も大きな要因である。時あたかもバブル経済のまっただ中にあるが、実はその自信が後になって徒になった。 この時期には、EC(ヨーロッパ共同体)諸国は高失業率にあえいでいた。しかし他方で、労働組合も加わってそこから抜け出す努力が行われていた。一九七〇年代後半からヨーロッパ諸国では、労働組合と使用者団体が、あるいはこれに政府が加わって雇用政策が練られていく。有名な例として、一九八二年にオランダで成立したワッセナー合意がある(詳しくは、根本孝『ワークシェアリング「オランダ・ウェイ」に学ぶ』ビジネス社、二〇〇二年を参照)。使用者団体と労働組合と政府の間で交わされた合意で、失業の増大とインフレーションの進行を阻止するため、賃金上昇率の抑制を取り決めたもので、その結果、賃金と物価のスパイラル現象の抑止に成功し、失業率の低下と経済成長を同時に達成することが出きたとされている。夫婦合わせた「一・五人働きモデル」ができたのもこの合意においてである。 ドイツでは、金属産業を中心に、労働組合の大規模なストライキ戦術を背景に労働協約で週三五時間制を実現していく(詳しくは、拙著『ドイツの労働時間と法』日本評論社、一九九八年を参照)。全体の雇用を失業者と分かち合うワーク・シェアリングのモデルである。 また、ドイツでは夕方から翌朝にかけて、あるいは休祝日には、原則として小売業で店舗を閉めておかなければならない法律(閉店法)があるが、使用者団体からはその規制緩和が強く主張されてきた。しかし、教会と一緒になってそれに強く反対してきたのも労働組合である。 ドイツでは、このようにして労使関係がマクロ的な雇用政策を担っており、日本のように立法によって労働時間を短縮するという方法はあまり採られない(ドイツでは一九九四年に労働時間法が改正されたが、週労働時間は依然として四八時間のままである)。これに対して日本の企業内組合は、全産業のあるいは国全体の雇用政策を労使自治によって形成していく力が弱い。 現在、多くの企業が膨大な内部留保を抱えており、これを労働者に還元することが重要な雇用対策と考えられている。安倍政権も昨年(二〇一二年)暮れから経営者団体にその要望を出しているが、なかなか実現しない。その原因は、企業内組合にその力がない点にある。五 一九八〇年代の日本 この時期に日本は、欧米のような高失業状態には見舞われなかったが、徐々に雇用が変化していく。 第一に出てきたのが、性差別を禁止した雇用平等の実現である。一九七九年に国連で、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」が成立したが、この条約の批准に向けて一九八五年に男女雇用機会均等法が制定された。その後、何回か同法は改正されていくが、このことと現場での雇用平等の実現との間には依然として大きな乖離がある。 第二に、長時間労働が外国からソーシャル・ダンピングと批判を受け、一九八七年に労働基準法の労働時間規制が改正される。しかし、この改正はアンビバレンツな性格を有しており、一方では法定労働時間が週四八時間から四〇時間に短縮され、年休日数も若干増やされた反面で、柔軟・弾力的な労働時間制

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