かけはし No.310
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- 8 - 今、雇用の現場で起きていること(その26)過去に学びながら未来を考える(1) 法学研究科 和田肇はじめに 読者の方から、この連載に対して、現在の雇用の破壊の背景や未来について俯瞰的に描くことが必要なのではないか、という注文が寄せられた。そこで、今回から何回かにわたってその分析をしてみたい。一 何が破壊させられたのか 一九九〇年代以降の企業内人事政策の転換や立法による雇用改革によって破壊させられたのは、次のような点である。 一つに、日本の社会全体がそうであったが、労働者においても厚い「中間層」が存在していた。つまり、上位の社会階層と下部の社会階層は、比較的少なかった。それに対して、一方では保護が厚い正社員層が薄くなり、大量の非正規雇用が生み出されることによって社会的貧困層が急増した。「雇用の二極化」というが、実は中間層の多くが社会的下位層に落ちていったという表現が適切かも知れない。 二つに、保護が厚い正社員層では、死ぬまで働かざるを得ないという「働く過剰」の問題が大きくなってきた。過労死予備軍と言われる週労働時間が六〇時間を超える(月時間外労働が八〇時間以上)労働者が、三〇代から四〇代の正社員では二〇%強に及んでいる。 こうしたことが、ワークライフバランスを欠いた大きな層を生み出している。 三つに、非正規雇用が急増したが、そのしわ寄せはとりわけ若年層に現れている。一九八〇年代まではまだ一般的であった高校や大学の新規学卒者が正規雇用で就職するという状況は、今では一変してしまっている。若年層の非正規雇用の割合は、平均の一・五〜二倍に達している。この者たちは、一端非正規で採用されると、その後も非正規雇用から抜け出せない。 四つに、企業は、労働力を人件費としてしか見なくなってしまい、その結果、企業内での教育訓練や系統的な人材育成を行わなくなってきている。また、労働力を利用しながら、附帯コストも相当かかる人件費としてではなく、物件費・物品費扱いになる間接雇用に依拠するようになっている。 これらがすべてではないし、もちろん労働者にとって利益となるような改革も実施されてきた。たとえば育児介護休業は一部の公務労働者にしか認められていなかったのが、すべての労働者(男女を問わず)に認められるようになったし(一九九一年の育児休業法制定)、介護休業も制度化された(一九九九年同法改正により育児介護休業法になる)。雇用機会均等法の制定や改正は、雇用慣行を一定程度(たとえばM字型雇用のボトムは上昇したが、しかしこのフォーム自体はなくなってない)変えてきた。しかし、総体的にみたときには、雇用社会には問題点が目立っている。二 戦後労働法の形成・展開 日本における労働法の規制緩和は、一九八〇年代に萌芽が見られ(典型は一九八五年の労働者派遣法制定である)、九〇年代から本格化している。しばしば小泉内閣の規制緩和によって雇用が崩壊させられたと言われることがあるが(郵政民営化の印象が強いからであろうか)、これは誤りである(この点では、八代尚宏『新自由主義の復権』中公新書・二〇一一年の指摘は正しい)。小泉改革は、それまでの流れをより強く推し進めたに過ぎない。 一九八〇年代までの労働法は、一般に戦後から七〇年代(あるいは八〇年代前半頃)までの形成期・発展期、その後の再編期とに時期区分できる。 終身雇用制(五五歳定年までの雇用保障)、年功序列型賃金体系(職能資格制度を前提とした年功的賃金制度)、正社員中心の企業内労働組合といった「伝統的雇用モデル」(三種の神器とも言われる)ができあがったのは、六〇年代までにおいてである。この時期は、初期は戦後復興期であるが、五〇年代後半からは経済

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