かけはし No.310
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- 7 -名古屋大学平和憲章エッセイ入選作品科学は平和をもたらすことが出来るか落合裕貴 科学技術が人類の役に立ってきたのは確かに事実だといえるが、その一方で科学技術が平和を奪ってきたこともまた事実である。そもそも、ダイナマイトの例をあげるまでもなく、人類にとって有益な技術と有害な技術にはっきりとした区別はない。いくら平和のためを思った技術であっても使い方次第ではかえって平和から遠ざかってしまう。 よく、科学の平和利用という言葉を耳にする。そのためにはどうすればよいだろうか。前述の通り一つの技術が平和をもたらすことも平和を奪うことも起こり得る以上、平和利用のための技術というものは存在しない。したがって科学を利用する者が平和利用かどうかを常に考えなければならない。 もちろん、科学技術の利用者はその技術があることを知っているすべての人ではあるが、科学者の意識が最も重要になってくるということは言うまでもない。思うに科学者としての評価はあるいはアイデンティティというものはどんな発見や発明を、どれだけしたかに依存する。そうでなくとも新しい発見や発明をすることが科学者にとっての大きな喜びになるに違いない。そのような機会を得るために自然環境を破壊し、戦争に協力することがあるかもしれない。しかし、それが科学者として最も恥ずべきことだという自覚をすべての科学者が持たなければならない。 科学者は科学者である前に一人の人間である。それゆえ社会情勢や自然環境に無関心でいられるはずがない。だが一方で科学者にしかできないこともあるはずである。それは科学のより平和的な利用方法を考えることはもちろんだが、それ以外にも、研究発表という形の国際交流も考えられる。研究発表という形の国際交流も考えられる。科学を人文科学と社会科学を合わせたものだと考えれば、文理の枠を超えて行うことができる。優れた研究は全世界で共有すべきであり、そこに争いや格差があってはならない。他国のよい研究を認めること、あるいは自国の研究を分け隔てなく公開すること、これこそまさに平和ではないだろうか。 以上より科学は平和をもたらすことができないとは言いきれない。しかしそのためには、科学者だけに責任を押しつけてはいけないとはいえども、科学に携わる人が率先するべきである。同様に、当然大学だけが取り組むことではないとはいえ、大学における平和に関する活動はとても効果のあることだと思う。名古屋大学平和憲章は大事にすべきであり、その内容は少しずつであったとしても実現されなければならない。そして最終的には一人の人間として、平和をもたらすために科学をどう活用すべきか常に意識しなければならないと考えている。

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