かけはし No.310
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- 5 -国際交流セミナーに参加して全学技術センター 箕浦昌之 9月22日正午、小田急鉄道小田原線参宮橋駅を降り、国立オリンピック記念青少年総合センターに向かって駅前の坂を下り、最初に目にしたコンビニによってお茶とおにぎりを買う。この先食べるところがないことを想定して買った。小田急の踏切を渡ると代々木公園の森が見えてくる。道路沿いに南下するとすぐにオリンピック青少年センターの入り口に到着する。正門を入って今日の目的のセミナー開催場所を探す。要所要所にセミナーの案内人がいて道を教えてくれる。それに従ってほどなく、会場の国際交流棟2階ミーティングルームに到着。開会まではまだ時間があるので、買い込んだおにぎりを食べて昼食とした。今回、国際交流セミナーに参加したのは、2日目の平和のフィールドワークに魅力を感じたからである。 13時に大学生協連全国留学生委員会主催の国際交流セミナー2013が開始した。初めにアイスブレーキングがおこなわれ、実行委員会が考えた紙を各人1枚渡されそれを参加者同士で見せ合いながら同じグループが集まるというものであった。私は毛沢東でありグループはお札に印刷された人のグループだった。グループ分けをしながらお互い打ち解け合うことができた。 こんな調子で書いていたら2日分は何頁あっても足りないので速度を変えることにする。 1日目の全体会では、賀川豊彦記念松沢資料館副館長の杉浦秀典学芸員による「賀川豊彦と協同組合運動」の話があった。日本の協同組合運動の父と呼ばれた賀川豊彦について詳しく知ることが出来た。中でも、生協や労働組合を作ってはそこのトップには就かず、次の組合を作るといったそのバイタリティと発想力には驚かされた。夜には賀川豊彦の生涯を映画にした「死線を越えて」を鑑賞しさらに深めることが出来た。 分科会では全国の留学生委員会の取り組みが紹介された。多くの留学生を集めたイベントも多く、生活用品や自転車のバザー企画、パーティ企画なども紹介されていた。夕食交流会では民族衣装を持ち寄った参加者が色々な国の衣装を披露した。ビンゴ大会も大いに盛り上がった。 2日目は平和のフィールドワークがあり、東京大空襲戦災資料センターと第五福竜丸展示館を訪れた。東京大空襲戦災資料センターは民間の手作りの施設で東京大空襲だけでなく、世界の空襲資料も展示されていた。14歳の時に2度の空襲ですべてを失った竹内静代さんが当時の様子を語ってくれた。戦争は終わっていない、今でも3月10日の火、逃げ惑う足の音、皮膚が焼ける臭いは消えないといっていた。第五福竜丸展示館では、無線長の久保山愛吉さんの命日の式典が催されていた。1954年3月1日に、たまたまビキニ環礁から150キロ離れた場所で操業していた第五福竜丸に水爆実験の死の灰が降り、乗組員全員が被爆した。第五福竜丸以外からも放射能に汚染されたマグロが見つかり大量に処分されたという。5月には雨水からも放射能が検出されたそうだ。乗組員の多くは肝臓障害で亡くなられた。やはり現地で実際に目で見て、証言を生で聞いてと言ったフィールドワークはとても大切であると実感した。 昼食後、木材会館の会議室でセミナーのまとめを行った。セミナー恒例のグループによる発表で2日間の日程が終了した。今回初めて第五福竜丸展示館を訪れることができた。学生時代から3・1ビキニデーにはデモや集会に参加していてよく知ってはいた。数年前、伊勢にあるゴーリキマリンビレッジで第五福竜丸を改修した人の話を聞いて一度は行かなくてはと思っていた。今回の国際交流セミナーに参加して第五福竜丸に触れることができ、古い友達に会えたようなとても感慨深いものであった。グループ発表を終えて

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