かけはし No.309
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- 6 -- 6 -ニュースに一喝!ニュースに一喝!憲法96条 このところ、憲法改定の論議が一時のようなタブー視されなくなってきた。そのこと自体は健全だと思うが、目当ての憲法第九条の改訂なのに、先ず、改訂をしやすくするために、改訂の要件を定めている96条から変えようとしているのは何とも姑息に思えて仕方がない。憲法は簡単に変えられないからそれだけ重みがあるはずなのに、普通の法律並みに、多数決で変えることが出来れば、そもそも憲法の値打ちもなくなるだろう。勿論国民投票もあるから、普通の法律並みではないが、国民投票にかければ、承認されると思っているのだろう。 日本国憲法96条とはこういうものだ。改正に関する唯一の条文である。 第九十六条[1] この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 彼ら国会議員は憲法を遵守するという責務があるはずである。それにも関わらず、憲法に不都合があって変えたいというなら、変えたい条文と、その目的をはっきりさせて、真正面からそれを訴えるべきである。先ず変えやすいようにと、この改正の条文をいじることは何となくルール違反のような気がする。変えやすくすること自体が目的では無かろう。勿論、それを改訂の一段階としてやろうとしているのだろうけれども、何となく胡散臭く思うのは私一人ではなかろうと思う。 勿論、アメリカはじめ多くの国で憲法の修正は行われ、修正何条などと言われる。改正がいけないというのではないけれども、改訂するところが違うようである。 私自身は、改訂が容易でない硬性憲法と言われているままで、いいと思う。それでもという場合には、そのハードルも越えられるのであろうと思う。(田 2013年4月15日記) この6月4日は1989年の天安門事件から24年目。この日、中国国内での天安門事件の封じ込めは凄まじかったようだ。香港では、この事件の真相解明を求めて市民が集まった。中国本土からも香港での集会に参加した人もあったが、当局から渡航を妨害されたり、軟禁状態に置かれた人も居たという。未だに、中国政府は、天安門事件というのは一部の暴徒の争乱だといい、決して民主化を求める学生達の要求だったことを認めない。我々の理解は中国政府のいうこととは違うのだが、一体真実は何か。真実が何であるにしても、自国民に重火器の銃口を向け、多くの人が死んだということは紛れもない事実である。 NHKなどのテレビ放送がこのニュースを伝えようとすると、今年に始まったことではないが、テレビの画面は真っ黒け。何故そんなに恐れるのか。やましいことがなければそんなことをする必要はない。その放送が事実でないことを堂々と言えばいい。歴史を歪曲し、臭いものに蓋をするように、歴史を抹殺しようとする行為は、よく、中国が日本に対して歴史を学べとか、歴史を直視せよなどというのとどういう関係になるのであろうか。日本は歴史に学ぶべきであるが、中国は歴史を抹殺してもいいというのだろうか。中国政府の要求を入れて、日本は、もう何度も何度も過去の誤った行為に対して謝罪までしている。それを何度も何度も蒸し返されれば、気持のいいものではない。 実に自分のいいように何でも歴史に学ぶということ

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