かけはし No.309
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- 11 -- 11 -魔言欲しい物が見つからないのはともかく、ややこしくて結局うまくいったためしがない。我々の統一球 この数日、あるいは半月ほどの間、日本プロ野球のボールのことが大問題になっている。新聞の第一面トップの記事になったり、ラジオ・テレビのニュースでも喧しい。遂に、昨日6月19日にはNHKの「クローズアップ現代」でも取り上げられていた。たかが、ボールのこと、みんな同じなら、何も問題ないではないかと、思う向きもあるのではないかと思うが、これだけ世間を賑わすについてはそれだけの影響があるということである。放送の解説者は選手に取っては死活問題とまで言っていた。 今回の問題に関して言えば、特に問題になることが三つほど有ると思う。1.変更したことを公表しなかったこと。2.変更したのにしてないとうそをついたこと。3.最高責任者と言われるコミッショナーにも相談してなかったこと。である。1はともかく、2は言語道断である。3は日本野球のコミッショナーについて考えなければならない問題である。 選手に対する取材でも、今年のボールが何となくおかしい、外野フライに成らずホームランになってしまうケースが多くて、違和感を持っていた様子が放送されていた。僅かな反発係数の違いが、外野フライか、ホームランの分かれ目になってしまっている。1パーセントの飛距離の増加はやはり大きいのだと思う。然も、選手達の疑問に対して、変更はしていないと強弁していたのである。コミッショナーもその事実を知らなかったという。これはやっぱり問題だろう。 「コミッショナー」というのは野球やボクシングなど以外では余り馴染みがないが、「権限を与えられた人」の意で、原義としては「委員・局長」などの意味を持っているが、主に職業野球やボクシングの組織における最高裁定者の事を言う、とインターネットでは解説してある。 クローズアップ現代の放送中では、アメリカのコミッショナーの権限と日本のそれとが比較されていた。まるで権威が違うようである。 何より、オーナー、選手、コミッショナーの三者から成る野球機構において、一番肝腎なのは選手に決まっているが、物事を決めるに際して選手達の影響力が小さすぎると感じた。以前に選手を「たかが一従業員」「たかが選手ふぜいが…」と言って物議を醸したオーナーもいる。総じて、オーナーたちのワンマンぶりが感じられ、コミッショナーは飾りに過ぎないように見える。 この状況を変えていかなければまた問題が起こってくるだろうし、プロ野球の健全な発展は望めないだろう。(T)さん」と言う名前の師匠が居た。もう故人に成られたようであるが、小さん師匠がぼやいていたのを聞いた。「俺のことを小さん、小さんと呼び捨てにしやがる」と。そう言っている人は、「小さん」の「さん」が敬称だと思い、呼び捨てたつもりではなかったのだろう。「アグネスチャン」という歌手も紛らわしかった。こういう場合は、「小さんさん」「アグネスチャンさん」と言わなければいけない。 尤も、「小さん」師匠の場合は、大抵、「小さん師匠」と言うし、アグネスチヤンさんの場合は、「アグネスさん」などと略して言うことが多いようだ。こういう事も時にはあるが、どうも、重複の方は聞きにくい。(T) この頃のラジオ放送もテレビも、視聴者との双方向のものが多くなった。番組中に視聴者が、メールを送ったり、ツイートしたり、それを放送している人(これを、以前はアナウンサーと言えばよかったが、この頃は、パーソナリティーとか、アンカーとかデレクターとか色々な呼び方をしている。どれがどういう役割の人を言うのか私にははっきり分からない)が、「くまちゃんさんから…」とか、「トッくんさんから…」などと言う。私にはどうも耳障りだが、どの放送でも同じ事。「くまちゃん」「トッくん」ではいけないのだろうか。本人が「くまちゃん」と言っているときにはもう本人が、自分を敬称付き(?)で言っているのだから、更に「さん」を付ける事はあるまいと思うのだが、どうなんだろう。この頃は、多くのところで丁寧に「〜さま」という。さすがに「くまちやんさま」「トッくんさま」とまでは言わないけれども。 以前、これと逆のことがあった。落語家に「林家小〜ちゃんさん・〜くんさんような不器用な者には情けないが全く無用だ。 (T)

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