かけはし No.309
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- 10 -- 10 -言魔回数券仲間 フェイスブックというソーシャルネットワークはもうよく知られている。私は、何時の頃からか、誰かに誘い込まれるように使い始めた。使い始めたという意識すらなくて、貰ったメールに返事をしたら、もう入っていたのであった。だから、基本的なことは何も知らずにいる。その頃使っていたコンピュータはもう5、6年は経っていたが、日常的な使用には何の不便もないものだった。ところが、このフェイスブックを使っているとどうも動作が鈍く、その上、奇妙な動きがある。時に止まらなくなったりして、強制終了させたことも何回か有った。フェイスブックの運営サイトではそれが分かるのだろう(おそろしいことだ)、御前の使用している機械は古くて具合がよくないから換えろといったメッセージを何回か受け取った。3月頃、新しいコンピュータにしてからは、動きは快適になり、不要のお節介もなくなった。 このフェイスブックは最初自分の基本的情報が求められる。その中に、誕生日がある。そして、ネット上で友達関係になった人の誕生日が近づくと、「誰々さんの誕生日が近づきました」というメッセージが送られてくる。それに従って、お祝いを言うなり何なりの行動を起こすことになる。 私のような歳になれば、もう誕生日が嬉しくもなく、プレゼントを期待することもない。要するにどうでもいいのである。しかし、「おめでとう」のメッセージはそれなりに嬉しいものである。そして、今年、こんな感慨を持った。ちょっと、本当は口外しにくいことなのであるが、皆さんいかがかと思って敢えて書いてみる。ネット上の友達は、かなりの数であるが、誕生日の祝いメッセージは誕生日までにわずか4通、その他の手段でも2通の祝いがあった。本当はこの年になれば、近親者からの祝いも却って鬱陶しいくらいだ。しかし、お祝いメッセージくらいは素直に受け取れる。 この6通は何れも相撲の仲間ばかり、この年寄りが相撲のクラブに入れて貰うのも気が引けるけれども、こうして誕生を祝ってくれるのは嬉しいものだ。お互い、集まって相撲を取って楽しむ以外ほとんど何の利害関係のない人達だ。だから、逆に嬉しい。一方、ネット上の「友達」には多くの研究者が居るが、そういう人達からはなしのつぶて、一応、「友達」関係にはなってもそれだけのことなのだろう。 人生の友達と同列には成らないとは思うものの、人間関係の一端を垣間見たようで面白くもあり、薄ら寒くもあった。 (T) 色んな回数券がある。以前は市電やバスの回数券くらいに限られていたが、今は本当に多種多様のものがある。 市電市バスの回数券は、10回分の料金で、11回乗れるというのが普通だった。今の回数券は、一回一回払うのが面倒なので、前もって払うというのがかなりある。或いは、何回分が幾らといういわゆる前売り切符のような回数券が多く見られる。特別割引があるようでもないのも有るし、割引になっているのもある。 その度毎に払うのが面倒なのと、多少の割引があるというので、回数券を買うということになる。ところが、私はこの回数券を買って却って度々損をする。整体の回数券を買った(買わされたのかも知れない、どうだったかも忘れた)。暫く行かずにいて、行ってみたらその店がもう無い。ビルの中にあったので、管理人に聞いたが、何処に行ったか分からないという。これは相当な額を損した。一種の詐欺みたいなものだと感じた。 公共の施設でも油断成らない。スポーツセンターのことだ。利用券が回数券になっている。相当日時が経っていたので、電話で都合を聞いたら、もうその施設は閉鎖したという。回数券も、これこれの日までは払い戻しをしていたが、その期間も過ぎたとのこと、当方にも落ち度があるので、強くはせめられない。前述の整体に比べれば、損害は小さいけれども、やっぱり損害に違いない。塵も積もれば山である。こういう人はどのくらい居るのだろうか。 市電市バスの回数券などは少額だから、大して気には成らなかったけれども、考えてみると随分無駄をしてきた。 こういう先払いのではない、いわゆるポイントなるものもかなりある。私はこういうのが苦手だ。大抵、券をもてあましてしまう。この頃はポイントカードに何点などと記される。ところがその使い方が分からない。結局、宝の(大した宝でもないが)持ち腐れだ。電話料金などについても、コンピュータ上に今御前のポイントはこれだけが、何時まで有効だとある。それを何かに交換しようとするのだが、

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