かけはし 送別特集
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- 32-- 32- 1971年に名大で大学院生としてシミュレーション研究を始めた時、名大大型計算機センターが設置された直後でした。そこで全国2台目の富士通の3次元グラフィック装置と格闘し、3か月後にやっと自分のジョブが動きました。その時マニュアルは不完全でコンピュータも思った通り動かないと知りました。次に名大プラズマ研究所でトカマクの崩壊不安定の3次元MHD(電磁流体力学)シミュレーションに着手しました。英国カラム研究所のシミュレーション結果を再現しようとしたのですがなかなか成功せず、プログラムにバクがあるのか大変悩みました。分からないので実行に数日間かかる長時間ジョブを流したらちゃんと結果が出ていました。自分を信じて思い切ってやるのも重要だと学びました。 3次元MHDシミュレーションは大規模なコンピュータ資源を必要とします。その時米国ではスパコンCRAYが稼働開始していました。CRAY-1を用いた米国のトカマク崩壊不安定のシミュレーションを知って当時の日本のコンピュータの能力の5倍以上はあり、何とかスパコンを利用したいと強く思いました。そのような折、1983年に米国UCLAでスパコンを用いて地球磁気圏の3次元MHDシミュレーションを行う絶好の機会を得ました。当時日米のネットワーク利用は不可能だったので、プログラムすべては磁気テープで更に念のために紙出力を持っていきました。UCLA/IGPPからLANLやNCARのCRAY-1の利用はまだ普及前で困難でしたが、それも素晴らしい経験となりました。 当時米国のスパコンは国立研究所にしかなく、大学の研究者と学生にスパコン利用が開放されていず、日本はいいなあとよく言われました。そうしたら、突然米国で大学共同利用のスパコンセンターを構築する話が持ち上がり、1985年に全米で4つのスパコンセンターが設置されました。理事長と主任技術者がUCLAだったためにその設立準備をまじかでみる機会を得、短期間での実現という米国の底力を本当に感じることができました。また、利用者は申請が認められれば利用料金の負担がない画期的なものでした。日本の7大学の大学共同利用大型計算機センターにも次々とスパコンが導入され、大学の研究者や学生にスパコンの利用が促進され、NIIの高速ネットワーク(SINET)で接続されてスパコンと先端的IT基盤は名大でも私たちの研究に今ではなくてはならないものになっています。(おぎの・たつき)荻野 瀧樹太陽地球環境研究所 教員名古屋大学のコンピュータと先端的情報基盤- II -

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