かけはし No.307
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- 18 -- 18 -言魔古本 もう近々大学から解放され、学問の世界からも少しずつ遠ざかりつつあるようなこの頃になっても、相変わらず色々な古書店や古書展示会の案内状が舞い込む。すると、やっぱりそれにざっと目を通す。もう、本を増やすのは止めようと思いながら、つい読むか読まないか分からないような本に印を付け、注文してしまう。習い性となってしまっているのを感じる。 ところで、その古本の値段について、以前、丹念にその値段を記録している方がいらっしゃった。今、そのこととその方のことは覚えているが、その記録自体は分からなくなり、記憶もない。価値ある書物は何時になってもきちんとした価格が付いていたと思った。 しかし、今日来た古書目録を見て学生時代から親しんでいたものの値段と比べて、今昔の感を催した。これは何も今日に限ったことではない。最近、古書の値段はとにかく大変わりである。何でも高くなる中で、何とも言いようのない価格である。一例を挙げると、私達が、大学生時代、「国書総目録」という物が岩波書店から出版された。国文学の世界に身を置いていた身にはどうしても欲しいものだった。しかし、値段は一巻8000円、当時として学生が買える代物ではなかった。でも欲しい。本屋に頼み、分割払いにして貰って買った。昭和38年11月に第一巻が出て、47年2月に本体八卷の公刊が終わった。更に、著者索引や、増補が三巻出たが、とにかく八卷で合計64000円、今にして思えば、びっくりするほどのことではない。丁度高度成長期に差し掛かってはいたが、我々には高い本だという感覚がこびり付いている。 それが、今日来た目録で、「全八卷函付き7350円」とある。もっと見ていくと、「国書総目録 著者別索引共9巻揃 正誤表付7000円」とあった。多くの辞典や全集類が、恐らく定価の一割にも満たないような値段である。「松が丘文庫所蔵禅籍抄物集第1期、第2期全23冊解説付」が26000円、此は、確か当時1期2期とも12万円したと思う。昭和51年のことだ。 本の値段が安いこと自体は決して悪いことではないが、そういう問題ではないように思う。毎日、多量の本が発行されるが、世は活字離れという。学生が本を読まない。辞書を引かない。レポートはコピペ、とか、カッペという手段で書かれることが多いという。修士論文などにもそんな物があり、さすが、それは通らなかった。コンピュータを活用するのはいいが、事によりけりである。古本の値段がこんなのは要するに需要が少ないということなのだろう。 我々が定年近くなると古本屋から本を処分しろと言ってくる。一昨年、書庫が余りに詰まりすぎたこともあり、古本屋の言うことを聞いて、かなりの物を渡した。仮払金と言ってなにがしかを置いていった。10回ほど来て、トラック二台分くらいは持っていった。半年経っても、清算しないので、電話をしたら、あの仮払金で全てだと申し上げたはずだなどと言う。当時の定価の5%にも達しない。こんな事を他の人に話したら、そんなもんですよと言う。 最近の古書の値段を見ると成る程とは思う。後日談になるが、懇意の古書店に話したら、持っていった人の名前を言った途端、それは悪い奴に売ったなと言われてしまった。 (T)大鵬 今年の初場所の最中にかつての名横綱大鵬の訃が伝えられた。21歳3ヶ月での横綱昇進の記録は、後に、北の湖が21歳2ヶ月で横綱になり、破られはしたが、32回の優勝は史上第一位、千代の富士が31回と続くが、未だ破られていない。白鵬がもう23回優勝しているから、彼が越えるかも知れない。全盛時代の白鵬を見ていると越えそうに思えたが、去年、今年の白鵬は衰えたとは言えないが、かつての人を寄せ付けない強さは影を潜めたように思う。記録は破られるものだが、大鵬の記録は未だ暫く

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