かけはし No.307
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- 15-- 15-ための旅費は支給されなかったので、シイやカシやナラの類たぐいが多く植えられている名古屋大学のキャンパスは居ながらにしてどんぐりが拾える良いフィールドであった。 その後私は、愛知大学に勤務していた市野和夫さんと手を組んで、シイの雑種の問題や三宅島の火山植生の研究に重点を移した。このことは松原さんの怒りを招いてしまった。 市野さんは名古屋大学理学部の生物学科で電気生理学を専攻した人であるが、山歩きも仙人のようで、博学で植物にも詳しかった。スダジイとツブラジイが別種で、それらの果実の中間形は雑種であると一応の結論を得たことと、三宅島の植生遷移でパイオニアのオオバヤシャブシと後続種のタブノキとスダジイの侵入順序の関係を明らかにすることが出来た。 名古屋大学の教養部が解体され、情報文化学部や人間情報学研究科が出来た頃に、手塚修文さんと同じ講座で一緒になった。 手塚さんは研究が生活そのもので、実験が好きでいつも実験室に来ては学生を相手に研究や世間話をしていた。独創的で、さまざまな最先端の研究テーマに取り組んでいた。松原さんよりも年上なので、私は手塚先生と呼んでいた。彼は教育者としてもたいへん優れていた。手塚先生は生態学にも明るかったが、私の学生・院生に生態学の分野の研究にも生理学の手法を押し付ける難点があった。 私はこれら三人の生理学者と出会い、多くのことを学んだ。生理学という学問だけではなく広い世界を知ることができた。生態学の分野では一匹狼的に研究を行ってきたが。 共同研究という面で、ジャック・モノーとフランソワ・ジャコブの二人の関係はたいへん興味深い。彼らはオペロン説という遺伝子発現の一つのメカニズムを発見した功績で同時にノーベル賞を受賞した。ジャコブはみすず書房から『可能世界と現実世界』と訳されている生き物の進化に関する洞察力に富んだ有名な啓けいもう蒙書を著あらわしている。名古屋大学の中央図書館で、やはりみすず書房から訳出されているジャコブの『内なる肖像 : 一生物学者のオデュッセイア』を手にしたときは感かんがいぶか慨深いものを感じた。 ジャコブは医学の博士号は手にしたものの、生物学の基礎研究がしたくて、基礎的な知識がないにもかかわらず、パストゥール研究所のモノーの研究室をおとずれて研究仲間に入れてもらえたのだった。最初はモノーが偉大すぎて、自分の無能さを思い知らされるのだが、ついには対等に議論が出来るようになる。緻ちみつ密な思考と実験の大たいか家であったモノーもジャコブとの議論の日々が無かったらノーベル賞を受賞したかどうか。 モノーの本に『偶然と必然』というのがある。遺伝子とタンパク質の領域の知識をもとに偶然と必然の関係を論じた優れた本であるが、最終的には生命と生き物の存在を偶然に帰してしまったため世界中に物議を醸かもしたことで有名である。 この本が出たときに、松原さんに『偶然と必然』の話をしたところ、君には理解するのは無理だよ、と言われた。それも無理はない。それから後のちのことであるから。ワトソンの遺伝学の基礎を日本語訳テキストで学んだのは。 私は生化学の授業を受けたこが無いと錯さっかく覚していたが、思い出したのである。東北大学の教養部時代に五百人規模の授業があったことを。出席するたびにシールを貼はった記憶がある。しかし、授業の内容はまったく覚えていない。 名古屋大学で講師になって最初の授業のときであった。当時一番大きい教室で受講者が三百人もいた。足がぶるぶる震ふるえた。医学部の一人の学生が授業内容がまったく理解できなかったと言って試験のときに答案を白紙で出したことがあった。 豊橋からの帰りの名鉄電車に乗ると、展望席は後ろ向きで、電柱やオレンジの街灯が次々と目の前から遠ざかり、瞬時に過去の暗闇へと消えて行く。

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