かけはし No.307
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- 11-- 11- それでは、N女子大学の弁護士は何をしているのか。あるいは何をすべきなのか。 弁護士の仕事は、刑事でも民事でも事件が起こったら、依頼人の主張に耳を貸して、それを法定で主張して、事件の「真実」を発見することである。しかし、企業等に関わる弁護士の重要な仕事は、法令遵守(コンプライアンス)を確保することに対して責任を負うことである。N女子大学の行っている一連の行為が、もし弁護士と相談の上で行っているとしたら、こうしたことに手を貸すことは、法を卑しめること、つまり「法卑」に当たる。それは決して弁護士倫理からしても許されることではない。 私が若い時代にお世話になった、ある経営法曹は、企業におもねるのが経営法曹の仕事ではなく、社会的な存在としての企業の襟を正し続けることが仕事だと言うことを、常々話してくれていた。経営法曹仲間では変わった弁護士と言われていたが、私は弁護士倫理とはそういうものだと考えてきた。 しかし、最近では経営法曹もそうであるが、正義を実現すべき指命を蔑ろにし、質がかなり低下している弁護士が増えてきているような気がする。依頼者の言うことは何でも聞き、真実発見や正義実現を目指そうとせず、ゲーム感覚で裁判に当たる弁護士、時間当たりで仕事を引き受けるために、やたらと時間を延ばそうとする弁護士の話をよく聞く。法科大学院改革がそんな風潮を助長していないと良いのだが、もしそうだとすると、我々も自己批判が必要である。四 労働組合の存在 さて、話を本題に戻そう。 N女子大学では、大学におけるコンプライアンスの維持や社会的責任の実現を、まさに労働組合が行っていると言える。前回、水俣病問題に労働組合が取り組んだ新日本窒素肥料という会社の話をしたが、労働組合は企業コンプライアンスを維持するのに、重要な役割を果たした。しかし、N女子大学ではどうだったのか。 誰しも自分にとって耳の痛い話は聞きたくない。しかし、自分を本当に律しようと考えたら、周りにイエスマンしか置いていない人は、どこかで大きな過ちを犯す。ヒトラーの例を引き合いに出すまでもなく、歴史の事実が教えるところである。 労働組合がどうして企業内コンプライアンスの維持・確保に責任を負っているかというと、それは企業内組合という性格に関係している。たとえばドイツの労働組合は、ある一定の地域(多くは州レベル)での一定の産業(たとえば自動車、電機、鉄鋼等を組織するのは金属産業労働組合=IGメタル)を組織しており、特定の企業と団体交渉をすることはない。彼らが責任を負っているのは、その産業全体である。特定の企業に対して責任を負うのは、従業員代表組織である。彼らは経営事項に対しても強い発言権を有している。なお、監査役会にも労働者代表が入っている。 日本では、労働組合は企業内で組織されるから、その関心は当然にその企業の労働条件である。確かに経営に関する事項には労働組合は口を挟めないが、しかし口うるさく発言することはできる。また、企業が社会的存在であるとしたら、その企業がどういう方向を向いているかについては、労働組合が監視するしかない。本来は株主の役割であるが、彼らの多くはそんなことに関心がないからである。ある会社が失敗しても、彼らは容易に他の投資先を見つけることができる。しかし、労働者はそう簡単に転職先を見つけることはできない。会社と一蓮托生である。だからこそ、経営に対して常に目を光らせている必要がある。 労働組合はこうした重要な役割を負っている。したがって、会社がもし曲がった方向に行っているとしたら、それは労働組合の責任でもある。N女子大学では折角、労働組合がこうした機能を果たそうとしたのに、理事たちは好機を逃してしまっている。大学は、真実を追究するところであり、世の先頭に立って弛まなく真実を追い続けなければならない。それが、他の古い体質の会社と同じ事をやっていたら、大学ではなくなる。 私には、今回の事件はそうした問題を突きつけているように感じられる。

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