かけはし No.306
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- 9 - これは若干極端な例かも知れないが、大企業労働組合には、往々にして社会的関心やその利害に反しても、自企業の労働者の利益を優先しがちなところ(企業エゴイズム)がある。以前にも紹介したが、ITや弱電関係の会社では、三六協定の特例条項を使って年間一、〇〇〇時間を超える残業協定を、労働組合が平気で結んでいる。彼らには、そのことが社会全体に、あるいは多くの労働者にどのような悪影響を及ぼしているかなど、想像する力が欠けている。 だからといって、私は労働組合自体、あるいは労働組合が構成メンバーの利益を最大限保護しようとすることを否定しようとしているわけではない。このことについては次回以降でも触れたい。三 地域ユニオン・合同労組 大企業中心の労働組合の限界を突破しようとする試みは、一九五〇年代から始まっていた。春闘方式が有名であるが、今回はこの点には触れない。もう一つの動きとして、中小企業が集まっている地域での、企業の枠を超えた労働者の結集が行われていた。現在注目を浴びている合同労組は、かなり早くから東京の下町や工場密集地域で存在していた。 今日的な特徴は、労働組合が存在しない企業で働く労働者だけでなく、労働組合が存在しても組合資格を認められていない非正規労働者、あるいはその個人的な問題が組合に取り上げられてもらえない労働者(たとえばある大手の自動車メーカーの労働組合では、組合員が過労死や過労自殺に至った場合にも、その支援活動に冷淡であったり、場合によってはそれに敵対的に動くことがある)が、結集している点である。名古屋ふれあいユニオンの組合員の多くは、三河地方の工場で働く日系の外国人である。 こうした労働組合が注目されるのは、ある意味で労働組合の原点と言える側面を持っているからである。第一に、大企業労働組合はユニオンショップ協定を会社と結んでおり、ときには自ら加盟した意識がないにもかかわらず、入社と同時に組合に加盟し、自動的に組合費がチェックオフされている。これに対して地域ユニオンの場合には、加盟は自らの積極的な選択の結果である。 第二に、地域ユニオンでは、組合員の切実な要求が運動の出発点となっている。解雇や差別などの問題が起こってから急に加盟し、その後会社と団体交渉をするケース(駆け込み訴え)がよくあるが、それだけに団体交渉は切実である。 第三に、地域ユニオンでは、他組合や他の市民運動との連帯が強化される。というか、連帯せざるを得ない状況にある。弱き者には、連帯以外の武器はない。 もちろんこの組合にも、自らの問題が解決されてしまうと組合から離れてしまうことがある、などの弱点はある。しかし、小さいからこそ組合員から活動が目に見えたり、小さくとも存在感があり、社会的に注目を浴びる。コミュニティ・ユニオン全国ネットワークや、労働組合リンク・地域合同労働組合/統一労働組合/個人加盟組合などがある。四 敬意を払われる存在としての労働組合 私にとっては、組織対象や形態あるいはその規模等は、余り関心事ではない。高い組合費を払っているのであるから、その見返りを期待すること、執行部としても最大限にそれに応えようとすることは当然である。労働組合は何も慈善団体ではない。 しかし、だからといって、組合員が解雇されようとしたり、まして仕事の関係で死亡したときにまで、会社と闘わない労働組合は、何のために存在するのか。こうした自問自答を放棄したら、それは労働組合ではなくなる。集団的な利益のためには、個別的な利益は少々犠牲にしても仕方がないという発想は、労働組合の理念やコンセプトとは無縁と思われるからである。 同じ職場で働いていながら、バッファー(雇用保障の緩衝材)としての非正規雇用の存在を認め、その労働条件確保・改善のために活動しないとしたら、「労働者」からは見放されてしまう、ただのエゴイズム団体に堕してしまう。 次回は、今日本の大学で起こっている事に触れながら、労働組合の社会的役割を考えてみたい。

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