かけはし No.305
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- 13-した委員の経験が評価される仕組みになっているが、これは本当の意味での社会貢献活動ではない。社会貢献活動とは、金銭と関係なく、自分の信念に基づいて社会に貢献する活動をいうべきだからである。 一九九〇年代以降は、これにさらに別の役割が加わった。それは、政府や内閣府に直属の行政改革会議や規制改革会議といった、三者構成を乗り越えた政策審議過程ができたからである。ここがまず規制緩和政策を決め(その多くはアメリカからの要望に対処するものであった)、それを審議会に押しつける方式を採った。かくして彼らは直接立法者の役割を演じた。労働経済学では八代尚宏氏(『雇用改革の時代』の著者)、労働法学では小嶌典明氏(『労働市場改革のミッション』の著者)が有名である。 前回に紹介した規制改革会議の報告は、こうした徹底した規制緩和論者が書いたものである。小嶌氏は、労働者派遣法の規制緩和を積極的に主張してきたが、彼は人材派遣業界からミッションを受けて研究も行っており、そう考えると主張の意図がよく分かる。四 労働法学者は責任を取ったか 積極的に役所に食い込んだ法学者だけでなく、労働者派遣法等で規制緩和を主張してきた学者もたくさんいる。あるいはパートタイム労働者の勤務条件の改善について、彼らの賃金決定システムやキャリア形成システムは、企業の内部(市場)での処遇システムができあがっている正社員と異なり、地域の外部(市場)で決まるから、両者の均等待遇はナンセンスであるとして、法律によって規制することに反対してきた労働法学者もいる。規制緩和論は、何も今ある規制を緩和するとの主張をするだけでなく、本来必要と思われる規制にも反対する見解でもある。 この結果、何が雇用社会で起こったのか。これまで縷々述べてきたので、ここでは繰り返さない。典型例が、2008年の秋に起こった大量の派遣切りである。 これらは、規制緩和論者が、雇用のミスマッチの解消といって、とにかく雇用の機会を増やせばよいと考え、その質の問題を考えなかったことに起因している。派遣労働者の七割から八割を成す登録型派遣は、有期雇用で不安定であり、教育訓練も十分に行われず、社会保険加入義務を果たさないというモラル・ハザードが起きやすい雇用の形態であるとして、廃止を訴えられてきたが、雇用が拡大すればよいという意見によって打ち消されてしまった。 こうしたことについて誰しもが批判してこなかったというのであれば、いざ知らず、多くの批判を無視して推し進められてきた。したがって、決して大量派遣切りは「想定外」のことだったのではない。 それでは、労働者派遣法の規制緩和論者たちはどういう反応をしたのか。ある人は、規制緩和の不徹底を原因に挙げ、ある人はこの結果を無視して口をつぐんでいる。さらにある人は、今度また良心的になってセーフティネットの脆弱性に問題があるとして、その整備を唱えている。これなど「マッチ・ポンプ式」立法学の最たるものである。彼らに共通しているのは、決して自らの理論的な過ちを反省しない点である。 原子力研究者や地震研究者にだけに生じた現象ではない。「ムラ」の構造といい、無反省の態度といい、実にどこかの話に似ている。五 私の反省 私自身はどうだったのかというと、大いに反省すべき点がある。それは、私は規制緩和論に積極的に荷担したわけではないが、少なくとも労働者派遣法の規制緩和に対しては、適宜、機敏に反対してこなかったからである。臆病だったというのではなく、事の本質を見抜く力が無かった。学者として恥ずべき怠慢であった。 それだからこそ、今は貧困問題、雇用の劣化問題に真剣に取り組んでいる。それが私の労働法学者としての社会的責任の取り方だと考えている。失われた20年の間に起こった問題を、今後再び起こすようであってはならない。今の私の研究の多くは、そうした問題意識に支えられている。

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