かけはし No.303
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- 8 -ニュースに一喝!ニュースに一喝!拒否権のもたらしたもの もう大分古いことになってしまった。 この2月6日、シリアアサド政権の市民弾圧を非難する国連安全保障理事会の決議案の採決で中国とロシアが拒否権を行使した。 もう半年近くなる。しかし、その結果、シリアの状態は外部から正確なことは分からないけれども、相当酷い状態である。にもかかわらず、相変わらず国際社会の動きは鈍い。 ロシア・中国は何を考えているのだろうか。あのシリアの惨状は、彼らにとって特別憂慮すべき事ではないのだろうか。それとも自分たちの利益が第一なのだろうか。ただ、その守ろうとする権益すら、あの拒否権は危うくするのではないか。シリアの金持ちたちは大挙してカナダに来ているとカナダにいる娘から聞いた。金持ちはそういうことが出来るのだ。 彼らはアサド政権を非難するより他にすることがあるという。ならばそれを実行して、この通り、非難決議などしなくても良かったでしょ、と言ったらどうか。それとは裏腹に、国連は何もやれないと分かったシリア政府は、ホムスで一般市民に無差別のロケット攻撃を仕掛け、数百人の市民を、テロリスト集団だと言って虐殺している。 ロシアのラブロフ外相はダマスカスに行って、アサド大統領とにこやかに握手している。とてもシリアに不法行為・残虐行為を止めよと言いに行っているとは思えない。励ましに行っているのかと思う。そうではないとは思うが。精々アサド大統領からは、反対勢力と交渉の用意があると言われただけで、弾圧を止める約束は取れなかった。アサド大統領側は、反対勢力をテロ集団と決めつけている。便利な言葉だ。 中国も特使を派遣するという。事態の打開に向けて努力する姿勢を見せるためだという。一体、そんな事態を招いたのは誰の所為なのか。何とも白々しい限りだ。世界各地で、中国やロシアの大使館に向かって、シリア人が投石などをして、抗議の姿勢を示しているという。当たり前だ。 この事態は何としても、中ロ両国に責任を持って貰わなければならない。抑も「拒否権」なるものを考え直さなければならないのではないか。私の幼少の頃のことだ。日本の国連加盟申請について、毎年、当時のソ連の拒否権に遭い、なかなか加盟できなかった事を覚えている。一体、ソ連は、これに限らず、どれだけ拒否権を発動したことか。当時のソ連の外相、グロムイコ氏はミスターニェットと言われていた。ニコリともしなかった、その顔は未だ瞼に焼き付いている。 大国と称する国が一致して賛成しなければ事がうまく運ばないことは分かる。ロシアや中国が果たしてその責任を果たしてきただろうか。いつも反対しているばかりの印象だ。今の、力による外交の世界では拒否権が必要だというならば、百歩譲って、それに見合う責任だけはやはりきちんと取って貰わなければ成るまい。今度の件で言えば、シリアに対する決議に反対した以上、彼らの言う別の手立てでアサド政権の市民虐殺と民主化を実現させなければならない。もし出来なければ、彼らは世界に対して謝罪してもらわなければなるまい。そういう責任を果たすよう促す決議が必要である。 拒否権を行使したことについて、欧米諸国から非難が集中していることに対し、中国外交部の報道官は6日、「中国は誰の庇護者でもないし、誰かにわざと反対しているわけでもない。公正で客観的な責任ある態度を示しただけ」と反論している。言葉は便利だ。かくして、彼らの言葉は信頼を損ねる。ロシアのラブロフ外相も同日、「西側はヒステリックだ」と批判している。共に何とも恥知らずではないか。こういう国とも付き合っていかなければならない。難儀なことだ。日本にとっては、共に隣国だから。 週刊誌の見出しだったか、中国やロシアが安保理の常任理事国では、国連は機能しないとあった。そうかも知れない。アメリカは、この両国は相手にせず、他の国と連携して、シリアのアサド政権に圧力を掛けるという。それしかないのが情けない。(田 2012年2月8日記〈6月17日補足〉)

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