かけはし No.303
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- 7 -ばバブル経済の異常性やリーマンショックは十分に回避できたはずである。こうした経済政策を主導してきた経済学者が、学問的な反省をしたという話や、恥ずかしさで一線から退いたという話も、あまり聞かない。 こうして考えてくると、学問の科学性や真理性は、必ずしもアプリオリに存在するものではない、ともいえそうである。三 法律学者の社会的責任 法律学者の社会的責任は、いち早く一九五〇年代に洗礼を受けた。そのきっかけとなったのは、憲法九条の解釈問題である。憲法でいったん廃棄されたはずの軍隊を警察予備隊という形で持ち始め、今も沖縄を苦しめている米軍の占拠という形で日米同盟が強化され、自衛のための軍隊の保持を憲法は禁じていないという解釈改憲が行われるなど、憲法九条は政治に翻弄されてきた。そうした背景を受けて、法の解釈は結局は解釈者の価値判断による恣意的なものに過ぎないのではないか、という問題提起がされた。この問題提起を受けて「法解釈学論争」が始まり、解釈の科学性・客観性が議論された。 この議論を通じての一つの結論は、法の解釈は、論理的な整合性や言語・ルールの一定の約束という枠をはめられてはいるが、解釈者の価値判断に強く依存しているというものであった。法学者は、自らの解釈に対して責任を負わなければならず、安易な解釈の変更は許されないし、変更する場合にはその理由を示さなければならないし、もし結果が妥当性を欠くことが明らかになった場合には、そのことを認め、原因を真摯に探究しなければならない。また法学者は、他の学問領域の学習を含めて、自らの立場や価値を磨く努力を積み重ねなければならない(以上のことを勉強するのに良い文献として、長谷川正安『法学論争史』学陽書房がある)。 憲法一三条に「個人の尊重」が定められており、これは「人間の尊厳の原理」とも理解されている。何が「人間の尊厳」にかなうものかについては、私たちの想像力が試されている。環境権などが今ほど自明でなかった一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて、大阪弁護士会が憲法二五条の生存権と並んで一三条の人間の尊厳の原理を用いて、環境権を提唱した。こうした創造的な解釈を通じて、環境権や環境法が次第に認知されていくようになる。社会的責任のポジティブな側面である。四 立法と法律学者 学者の社会的責任は、多くの場合、それを果たしていないところで、あるいは社会にマイナスの影響を与えたところで問題とされている。法学者についていえば、ある解釈の誤りについては、学問的な評価が落ちることはあるが、社会に決定的に悪影響を及ぼすまでには至らない。 しかし、ある学者が、国の政策立案に関与している場合には、その影響は計り知れないものがある。具体例を挙げてみよう。一九九〇年代の後半の橋本内閣のときに規制緩和委員会が設置され、その後規制改革委員会や総合規制改革会議等に組織変更されたが、この下で労働者派遣法の規制緩和等が進められてきた。その底流にある哲学は、次のようなものである(規制改革会議「規制改革推進のための第2次答申」平成十九年十二月二十五日)。 「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない。場合によっては、既に権利を持っている人は幸せになるが、今後そのような権利が与えられにくくなるため、これまでよりも不幸になる人が出てくることにも注意が必要である。無配慮に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、同時に中小企業経営を破綻に追い込み、結果として雇用機会を喪失することになる。過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果になるなどの副作用を生じる可能性もある。正規社員の解雇を厳しく規制することは、労働者の使用者に対する「発言」の担保になるどころか、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く。」 こうした哲学に支えられた規制改革、すなわち新自由主義的な規制緩和政策に学者がどのようにコミットしたかを、次回で検討してみたい。

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