かけはし No.302
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- 14 -言魔さくら 今年は例年になく、春になっても、いつまでも寒かった。桜の開花が入学式には間に合わなかったところも多いだろう。我々の大学は四月二日が入学式だった。私の専任教員としての最後の入学式だった。とてもいい天候に恵まれた。午前中には、未だチラホラ咲きだった。ところが、夕方目を疑った。満開まではいかなかったが、朝、チラホラだったのが、一気に開花していた。余程桜も咲きたかったのだろうし、それを好天が応援した。ところが、その明くる日には、今までに経験したこともないような激しい春の嵐。その後も余り春らしいお天気には恵まれなかった。そのために、週末の四月七日、八日こそが今年の最後の花見のチャンスだと言われながら、今日十三日に至るまで、若干、落花も見られるが、「落花狼藉」と言われるほどでもない。大学構内を見渡せばまだまだ十分鑑賞に堪える風情である。 目を東の方に移すと、日進の山々には、あちこちで満開の桜が目立つ。花の季節になると、あっ、ここにも桜があったのだと気づかせてくれる。これは、道を走っていても同じ事。不断何の気無しに通るところにも、そこここで花が咲き誇っている。この頃、桜を植えることが多くなったのか、私が今年は殊の外桜に関心をかき立てられたのか、わざわざ花見に行かなくても通勤の道だけで十分に楽しませて貰った。それに反してかどうか、この時期目立つ白木蓮などは余り気づかなかった。そう言えば、箒みたいだった欅にも青い新芽が見えて美しくなった。銀杏の新芽も美しい。 (T 4月13日) その明くる日、夜来の雨の所為もあり、山崎川畔では葉桜となり、地面には夥しい花弁、諸処で落花の舞に遭遇した。これで今年は見納めだ。(T 4月14日) 昨年来、どれだけこの言葉を聞いたことか。避難指示、避難勧告、避難準備情報などなど。避難しなければならないような災害が多かったのだ。以前は、もっと直截的に「避難命令」と言っていた。それが、避難指示に当たるのだろうが、何ともまどろっこしいことである。同じ事を指しているのだが、「指示される」のと「命令される」のとでは受け止め方が随分違うだろう。勿論、そのための言い換えなのだろうが、住民の命を守るためには、やはり効果的な言葉を使うべきだと思うのだが、「命令」と言うのに抵抗があるのだろうか。しかし、東日本大震災の時、独自に避難を「命令」した自治体もあり、それが効果があったということを聞いた。 私自身の個人的な意見としては、本当に必要とあれば、的確な表現として「命令」した方が、大変な災害が迫っているような時にはいいように思う。 後で、何もなかったではないか、ばかばかしかったなどと言われないための予防線を張るような役所の意識はこんな時は改めるべきだ。 「避難指示」などというのは実に聞き苦しくまどろっこしかったことを意見として表明しておく。 (T 4月12日) 両方とも決まり文句である。こういうのを「成句」というのであろう。 分かり切ったことのようにも思えるのだが、必ずしもそうではない。相撲を取るときに、爪が伸びているとお互いに危ない。相手にとっては一寸した凶器になるかも知れないし、寧ろ自分の方が危ないことがある。爪が長いと、何かの弾みで、ツメ全体が剥がれてしまい大変なことになりかねない。だから、爪は常にきちんと切っておかなけれ爪を磨く・袖を通す避難指示

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