かけはし No.302
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- 12-ニュースに一喝!ニュースに一喝! 少し前のことだが、日本数学協会の大規模な調査で大学生の数学や論理的思考力の不足が判明した。テレビでも新聞でも報じていた(2012年2月25日)。例としてあげられているのは、小学校4年で習う平均の問題。100人の生徒の平均が163・5センチだった、ということから導き出される正しい答えを選ぶものだ。背が特別高いのや、特別低いのが居ることを考えれば何でもないことなのだが、つい、三択に騙されるのだろう。とりもなおさず、「平均」ということが分かっていないからだ。大学生で4人に一人が間違えたというのだ。 理工系の大学生でも、18%が間違えたという。 「帽子をかぶっていない子供はみんな女の子」を元にした問題で、「帽子をかぶっている女の子はいない」と3割強が間違えた答えをした。 この結果について、ゆとり教育の結果であるとしている。そうかも知れないが、そう簡単に決められないようにも思う。 大学入試に無い科目はまともに勉強しないということ自体が本当はおかしいのだが、事実はそうなってしまっている。もう半世紀以上も前になるが、我々が受験したときには、文理の区別すらなく、全て殆ど一律に5教科8科目。僅かに、医系や理系で、理科の科目で、これこれを取れという指示があった程度。高校でも、文系志望と理系志望の区別など無かった。だから、受験直前に志望学部を決めることが出来た。また、入学後に学部の変更も割合容易に出来た。ただ、大学での授業は、先生にも依るのだろうが、数学など、文系学部生を担当する教員は、どうせこれから大して必要でもないと思ってか、真面目に分からせようとは考えてはいなかったみたいだ。私が教養部で受けた、数学の先生はまともには教えてくれなかったように記憶している。高校で一年掛かるようなことを一回か二回で済ましていた。それではそういう訓練を受けていない、文系学生にはお手上げだった。化学や物理、生物などの教養科目は文系学生にもよく分かる授業だった。数学も、先生に依って違っていたのかも知れないが。 それはともかくとして、その後、受験が、文理と分けられ、それに付随して受験科目も減った。理系で、国語を課するところはなくなった。文系でも、経済学部や法学部など、早くから国語を削除した。もう、その当時、統一試験が実施されていたので、第二次試験で、国語を課する学部が少なかったのは、採点する身にとっては、こんな事を言っては、申し訳ないが有り難かった。しかし、その結果はじわじわ現れてきた。先ず文章が書けない学生の増加、よく読めないのも居たようだ。 今、数学的能力の欠如が、取りざたされる。昔から言うとおり、先ず、読み書きとそろばん(数学)の能力こそが全ての基本なのだ。 どんなことを考える場合にも、このことを念頭に置かなければならない。それを置き去りにして実施する色々な改革は絵空事になってしまうのだ。 今更、文が書けない、論理的能力が欠けている、などと言って騒いでいるが、今からでもいい、基本に立ち返ってやるべき事をやろうではないか。小手先の色々のことではどうにもならなくなっているように思う。(田 2012年4月11日記) ちょっと前のことだが、今の我々を取り巻く諸般の事情、政治状況から、経済の問題、自然災害、世相等諸々のことに関して、これからどうなるのだろうと漠然たる不安を小文として綴った(未公表)。 最近、日本の政治状況に関して、同志社大学の浜矩子教授の「偽りの英雄は無用」(中日新聞読み書きそろばん偽ヒーローの出現を防げ

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