かけはし No.302
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- 11-働基準法三条である。そこでは、国籍、信条、そして社会的身分によって労働条件を差別してはいけないと書いてある。「性別」が抜けているが、このことについてはいつか書こう。 問題は、「社会的身分」であるが、これは生まれながらにして持っている身分、あるいは後発的なものであっても自らの意思では脱却できない身分を意味すると、一般に解されている。パートや有期雇用といった、労働契約を締結されたことによって獲得した身分については、それが長く続くことによって、一種の「身分」のようになると解すべきであるとの見解が学者の間では結構有力であるが(私もそう解している)、裁判所の採るところとはなっていない。 次に、パートタイム労働法(正式名称は短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律)八条では、「通常の労働者」と同視できるパートタイム労働者については、賃金等での差別的取扱いが禁止されている。しかし、ここで想定されている「通常の労働者」は、家族の犠牲にもかかわらず、残業や全国転勤を厭わない男性労働者をイメージしており、これとほぼ同等のパートなど数%しか存在していない。 多くのパートタイム労働者は、家族的責任を負担しながら働いているのであり、そうした労働者について適用されるのは、パート法九条以下である。ここでは、「通常の労働者」との均衡を考慮した処遇の努力義務が使用者に課されているにすぎない。同じような規定は、労働契約法三条二項にもあるが、これが雇用改善にどれほど役立つかは、多くの人が疑問を持っている。お題目に過ぎないというといいすぎであるが、それに近いことは確かである。 三 どうしてなのか? このように見てくると、現行の労働法で、非正規雇用の雇用改善に大きく貢献できる法律や規定はないことになる。それが残念ながら現状である。 その理由は簡単である。国・厚生労働省・使用者団体は、非正規雇用を、家計補助的で、家族的責任と調整できる雇用と位置づけているからである。主婦層がパートの中心であった一九八〇年代までは、それで良かったかもしれない。しかし、こうした考え方は、現実の非正規雇用との間に大きくずれてきている。 若年者で学生ではなく、本来なら正規雇用を望んでいる者、家計の主たる維持者で、場合によっては扶養家族を抱えている者等にも、非正規雇用は増えている。雇用平等が進んでいたら、本来非正規雇用は男女半々であるはずが、現実には八割くらいが女性に集中している。このようにして非正規雇用は、社会問題化しているのである。それにもかかわらず、国の対応は相変わらず能天気である。自然破壊を放置しているかのように、人的資源破壊が放置されている。 大きな要因の一つに、一九九五年に当時の日経連が公表した『新時代の日本的経営』がある。終身雇用型の正社員をとことんスリム化し、非正規雇用を増加させ、企業の人件費を圧縮させ、国際競争力を維持しようとした戦略である。このことが、一方では、死ぬまで働くといった「働く過剰」を生み出し、他方で、多量の不安定雇用者を創出した。 四 解決策 そうだとすると、解決策は自ずと決まってくる。つまり、一方では、比較されるはずの「通常の労働者」の働き方を見直し、比較の垣根を低くすることである。健康に余裕があり、家族との関係も大切にし、文化的な労働者生活を送る者が、「通常の労働者」でなければならない。そして他方で、こうした者との均等待遇を、法律によって義務づけなければならない。雇用形態は、生活スタイルによって選択できるものであルことが望ましく、一端非正規になったらずうっとそれが続くというのは、若者にとってはあまりにも酷である。未来がなさすぎる。 △△△△△△△△ この三月に、経済学部の教務掛長であった川崎匠さんが急逝された。退職して海外での生活を楽しみにしていた矢先のことであった。ある日キャンパス内で、「先生、かけはしの連載楽しみしています」と話しかけられた。正直いって、こんな拙文に読者がいたことを知って励まされた。貴重は読者を失って残念である。この場を借りてお礼を言いたい。そして、冥福をお祈りしたい。合掌。

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